悦びをば・わらえかし

チャップリンはつねに語っていた。
 「生きることはすばらしい!」。そして「笑うことはすばらしい!」と。
 「笑うこと、人生におけるもっとも厳しい事態をも笑い、死すらも笑うことのなかには、健康なものがある。笑いは強壮剤であり、気晴らし、苦痛の放棄である。それは、この世でもっとも健康的なものである」―。
 何があろうと、笑いとばす強さ、朗らかさ、心のゆとり。そこに「生命の健康」がある、と。
 真剣と深刻とは違う。勇敢と悲壮とは違う。大勇の人は、明るい。確信の人は、冷静である。知性の人には笑顔の余裕がある。
 健康な「笑い」は”元気のもと”(強壮剤)であり、どんな悩みも吹きとばしていく(苦痛の放棄)と、彼は説く。
 まさしく闊達な「笑い」こそは、不屈なる”心の勝者”の証である。(『池田大作全集71巻』14−15項)

人生におけるもっとも厳しい事態における笑いといえば、日蓮のエピソードを思い出します。

竜の口の刑場に向かう途上、門下の四条頼基は事情(目前に迫った日蓮の斬首)を察し、もうこれまでと涙を流しました。悲嘆する四条頼基日蓮は、「不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらえかし」(種種御振舞御書)――しょうがない殿だなあ。これほどの喜びを、笑いなさい――と励ました。

日蓮の笑顔が脳裏にうかびます!

どのような心を生きているのだろう!?

首をきられることこそ本望とたしなめた日蓮も、その真情は深く心に染みました。後に日蓮はそのときの光景を思い返して、次のように述べています。

「返す返す、今に忘れぬ事は頸を切られんとせし時、殿は供して馬の口に付きて・泣き悲しみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給わば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うにも、用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と供に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ、暗に月の入るがごとく湯に水が入るがごとく氷に火を・たくがごとく・日輪に闇を投るが如くこそ候はんずれ、」(崇峻天皇御書)

平仮名に少し漢字を当てました。