人間の幸福とはなにか

「永遠の幸福」は「永遠の挑戦」のなかに

「無限の完成」へ、前進と進歩を

一、人間の幸福とは何か――。昨日も触れた点だが、これは、トルストイが生涯をかけて研究したテーマである。
 一生涯、求道――名声も、地位も、大文豪としての栄誉も、「道を求める」彼の真剣さを変えなかった。若き日と同じように、彼は「前へ」と進み続けていた。
 亡くなる二年半前、八十歳を前に、彼は日記を書く。「私は生涯の終わりになって生の幸福を悟った」(中村融訳『トルストイ全集18 日記・書簡』河出書房新社)と。
 その「悟り」、到達した幸福観とは何であったか。一つの見方として、トルストイは、幸福は「無限の完成である」とした。
「人間の生活の幸福は彼の目前にある目的の達成にあるのではなくして、最高の、人間には到達し難い目的のために前進してゆくことにある」(同書)と。
 給料が上がれば幸福になる。あの地位を得れば幸福になる。あの人と結婚すれば幸福になる――そう思っても、それだけでは相対的幸福である。時とともに満足できなくなっていくし、変化に左右される。それらが得られなかったら、反対に不幸を感じる。
 トルストイの考える幸福とは、こうした、哲学的に言えば「形而下」の、目先の目的の実現にあるのではない。小さな自分を超えた、「最高の目的」「大いなる理想」に向かって、永遠に前進していく――その「挑戦」の生命に真の「幸福」は輝いている。それがトルストイの求道の結論だったのではないだろうか。
池田大作『「幸福」とは理想への無限の「前進!」』より
創立者の語らいⅣ』に収録

偉人の答えは凄い。
ガンジーの楽観主義もそうだけど、
不動だ。ぶれない。
何ものにもゆるがない真の幸福を
求めての結論。
真の幸福とは何か。
それは、
大いなる理想に向かって、
挑戦し続ける心の中にある。

トルストイの青春は挫折との戦いだった。
彼の日記には、苦悩がにじみ出ている。
「この7日間何一つせず」「全く特別なことは何もせず。ほとんど書かず」「ほとんどひと月何も書かず」「書けず。すっかり萎えた拙い筆」(同書)
トルストイも僕たちと同じように、
弱い心や挫折と戦っていた。
挫折することも多くあった。
しかし、
何度でも決意し直せばいい。
何度でも決意してやる。