レオナルド・ダ・ヴィンチ

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 レオナルドは、芸術家としても、超一流。科学者としても超一流。また、建築家や哲学者としても、超一流。なんでもできる「万能の天才」であった。
 「天才とは努力の異名」である。発明王エジソンもまた努力また努力の人であった。(エジソンの言葉に「天才とは一パーセントのひらめき(インスピレーション)と九九パーセントの発汗(パースピレーション)である」と)
 天才といっても、すべて努力の結晶なのである。

 
 レオナルドが残した童話の中に、「火打ち石」の話がある(ブルーノ・ナルディーニ編『レオナルド・ダビンチの童話』西村暢夫・渡辺和雄訳、小学館。以下、引用は同書から)。「火打ち石」とは、他の石などと打ち合わせて、火を起こす石のことである。
 ――ある時、ある石が、火打ち石から、カチっとたたかれた。
 石は、びっくりして、とても怒った。
 ところが、火打ち石は、笑って、こう答えた。
 「がまん、がまん、がまんが大せつ。
 これが、がまん できたら、
 わたしは、あなたの からだから、
 すばらしい ものを
 ひき出して あげますよ」と。
 こう言われて、石は気をとり直して、がまんしつづけた。
 カチッ、カチッ、カチッ――。
 すると、やがて自分の中から、すばらしい火が、飛び出たのである。
 そして、その火は、見事な力を発揮して、世の中の役に立っていった――と。
 

 レオナルドは、この話をとおして、何を言いたかったのか。”はじめたばかりの勉強がむずかしくても、あわてる必要はない。自分に負けてはならない。あきらめず、たゆみなく、学び続けていけば、かならず、すばらしい結果をだしていくことができる” 
 ――彼は、こう励ましていると受けとめてよいと思う。
 読書も勉強も、そのむずかしさは「石」のようかもしれない。お母さんも「石」頭(笑い)、学校の先生も「石」頭と思うときがあるかもしれない。(笑い)
 そういう「石」――つまり、自分を鍛えてくれるものを避けずに、ぶつかっていってこそ、成長の「火」は出る。創造の「火」は打ち出される。
 わが学園生は、一人一人が、二十一世紀を燦然と照らしゆく「希望の炎」を秘めている。
 その炎を燃えあがらせるチャンスはいつか?それは今である。今しかない。
(中略)
 日々の勉学、また良き友との切磋琢磨が、皆さんの生命から、限りないパワーを引きだすのである。ゆえに、この大切なチャンスを決してのがさずに、粘り強く、忍耐強く、学びぬいていただきたい。
 レオナルドにも負けないくらいの、旺盛の知的好奇心をもって、あらゆることに生き生きと探求を広げ、深めてほしい。そして、「一人の人間が、どれほど偉大な可能性を発揮できるか」を自分らしく証明する、壮大な青春の劇を、きょうからスタートしていただきたい。
============================================57巻 306項