「教育の世紀」へ

箴言

「欠点を指摘するよりも、長所を見つけ出しほめてあげること−−これは、人を育てる際の鉄則です。
 どんな子どもでも、その子ならではの個性と何らかの長所を必ず持っているものです。そこに”追い風”を送ってあげると、才能の芽は急速に開花し、人格的な面でも、驚くほどの成長を見せる例がしばしばあります。
 子どもたちの可能性は、もっともっと幅広く見ていくべきであり、あたら才能の芽をつむようなことがあってはならない。ゆえに、若者たちに、こう訴えています。「われには、われのみの使命がある。君にも、君でなければできない使命がある」と。」43項


「不幸や、悲しみに沈んだ子どもは、自分に自信が持てず、自分の中にあるすばらしい宝が見えなくなってしまうものです。そのままでは、子どもは、やがて、卑屈になり、自暴自棄になり、自分で自分を傷つけ、人を傷つけるような行為に走ってしまうことが多い。
 自分の尊さが分からないから、ほかの人の尊さも分からなくなってしまう。自分自身が、どれだけすばらしい存在であるか。いかに、計り知れない可能性を持っているか。子どもに、それを気づかせ、目覚めさせていくのが、教育の根本の使命と言ってよい。」50項


「子どもの表面だけにとらわれないで、「心」という”根っこ”を見なければならない。木を見る時、人は普通、枝ふりや葉の茂り方を見るでしょう。しかし、根っこがしっかりと張ってこそ、立派な大樹となることができる。同じように、心がしっかり安定してころ、子どもは力を発揮できるのです。
 教育は、人生に勝利するためにあるのです。頭脳だけ利口になっても、人生の苦難に打ち勝っていけるわけではありません。知識を多く持っている人が、偉いのか。決してそうではありません。
 知識も、お金も、「手段」です。「目的」ではない。それは善にも悪にもなりうる。それを使って、善いこともできれば、悪いこともできるからです。知識がたくさんあるから、幸せになれるわけではない。お金がたくさんあるから、幸せになれるわけでもない。
 このことをはき違えてしますことによって、多くの不幸も生じているのです。知識より、知恵です。その知恵を子どもたちが持てるかどうかにかかっています。知識は善のために生かし切っていけるだけの、「強い心」と「他者への愛情」を育てていかなければなりません。」53項




「皆さんの中には、素晴らしい”宝”が眠っている。どんな人の中にも、その人ならではの個性輝く”力”がひそんでいる。それを引き出すのが、「読む力」「書く力」であり「考える力です」」49項


「「ほめて長所を伸ばすこと」と「克服すべき欠点を自覚させること」の両方が、バランスよくかみ合ってこそ、一人ひとりの能力を最大限に引き出すことができる。」41項

欠点を自覚させるのが、難しいと思います。振り返りの中で、自然に自覚できるとベストかなと思います。あとは、「大切な友人」の実践のように工夫。


「苦労を惜しんで、小手先で何とかしようとしたり、子どもを操作しようとすれば、必ず行き詰まります。自分では意識していなくても、心のどこかに、「どうせ子どもだから」などという傲慢さがあれば、子どもはそれを感じ取ります。子どもは敏感です。生命のレーダーで、大人の心を、そのまま写し取ってしまうのです。
 子どもの中には立派な大人がある。一個の人格として尊重していくことです。逆に言えば、どこまでも真心を傾け、愛情を注いでいけば、たとえそれが不器用であっても、子どもは必ず応えてくれる。苦労があるからこそ、親が人間として成長できる。「育てる」ほうも「育てられる」のです。」39項

心が大切ですね。あと来年は自分がモデルを示すことだと思います。一生懸命であること。努力すること。挑戦すること。振り返ること。誠実であることなど。


「その子が一番、何に苦しんでいるのか。まず、そこに目を向けてあげることです。その上で、確かな人生の方向性を教えてあげることが大切です。飛行機だって方向を見失ったままでは、目的地に着くことはできない。いつまで経っても、灰色の雲の中で迷い続けることになる。
 子どもは、自分が飛び立つ力は持っている。それを引き出し、方向づけてあげるのが、「親の愛情」であり、「教育」と言えるのではないでしょうか。今の子どもたちは、エネルギーのやり場がない所に追いやられていることが多い。それではあまりにも子どもがかわいそうです。それが高じると、子どもたちを、暴力や犯罪へと走らせてします原因になりかねません。」74項

僕は、迷っていた時期があるので、そうだなとしみじみ思います。もったいない。


「鍛錬によって人は、自ら縛る自分の欠点から解放される。自分自身を鍛錬し、培った力こそが、自分の勝利を支える土台となる。”鍛錬が人を自由にする”のである」92項


「学校だけではない。何でもそうです。「受け身」になったら、どんな自由な世界であっても「不自由」な自分になる。逆に「攻め」の姿勢になれば、どんなに不自由な環境であっても「自由」を味わえる。」94項


「読書が学校教育にとって大切なのは、読書経験を通して、子どもたち自身の「問いかけ」を大切に育みながら、時間をかけて自分を見つめ直し、自分の力で「答え」を探し出す力を育んでいくことにある。」96項


「「学ぶ楽しさ」と「成長する喜び」を経験させてあげることが、教育にとって最も大切なことです。
 一度でもそれを味わうことができれば、子どもは自分でどんどん伸びていくことができる。自分の持っている力と、そのすばらしさに気づかせてあげることです。」96項

自分で伸びてける、主体的に学んでいける人、自分で自分を育てることができる人を育てたいです。

 「自然の中で、何時間も過ごしたり、実際に身体を動かして何かをするといった「直接体験」は、子どもにとって何よりも重要なものでしょう。
 人間、「肌身で感じる」「生命で感じる」といった経験を通してしか、学べないものがある。単なる知識だけなら、本を読んだりして、一人でいくらでも学べるかもしれないが、人間にとっても最も大切な「生きる力」というのは、自発的な体験や、人と人の触れ合いの中でこそ養われるものだからです。」99項


「人生は、一生涯、探求です。「人間とは何か」「よき人生とは何か」−−その探求の旅の伴侶が文学なのです。」100項


「教師が生徒を信じること−−それこそが教育の根幹である。「信の心」が教育の中心にしっかりと打ち立てられているかどうかが、教育の成否を決めると言ってよい。それが、信頼関係を築いていく、第一のステップです。まず、教師が子どもたちを信じていく。信じてあげれば、子どもたちは、必ずまっすぐに応えてくれます。
 最大の教育環境は教師自身である。施設や制度はもちろん大切ですが、それ以上に、教師の生き方や生徒を思う愛情の深さこそが、子どもたちの心の限りない栄養になるのです。」112項


「”読むこと”は「心を耕すクワ」と言える。じつは、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではない。本来、それらは全部、自分の中にある。しかし、読書というクワで、自分の心、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出し始める。」115項
同じことを言った詩がヘッセにありますね。「書物」


「どんな子であれ、その人にしか果たせない「使命」がある。だれしも、何かの「才能の芽」を持っている。その芽を伸ばすための最高の養分は、「信じてあげること」ではないでしょうか。
 人によって、早く芽吹く人もいれば、時間がたってから、急に伸び出す人もいる。しかし、いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです。どこまで子どもを信じてあげられるか−−周りの「信じる力」が問われているとも言えます。」117項


ルネサンス(再生)は読書から生まれる。レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロも、ルネサンスの巨匠は、皆、第一級の読書家であった。古典の読破なくして、あの絢爛たる創造力の開花はなかったにちがいない。
 活字文化の復興は、即、文芸の復興であり、人間精神の復興である。」125項


「良書に親しむなかでこそ、創造力も批判力も鍛えられる。活字文化の衰退は、人間が人間らしく生きるための精神の泉を枯らせてします。」125項


「「違いを、「排除しようとする方向」ではなく、「認め合う方向」へと「心のベクトル(方向性)」を変えていくことが大切です。
「みんな『違う』ってすばらしい!」ということを教えていかねばならない。多様性があってこそ、社会は、さまざまに力を発揮するのです。その多様性を調和させながら、みんなを「幸福」の方向へ、「共生」の方向へと向けていくのが、人間教育と言える。」128項


「語学は「世界を結ぶ力」となるものといえましょう。世界の人びとの生活を知り、価値観の違いを学び、同じ人間として心を交わしていく−−その道を大きく開く”武器”となるのが語学です。」137項


「人間は、子どもの時に身につけた価値観を、ずっと大きくなるまで持ち続けるものです。大きくなってから、それを変えるのは、決して簡単なことではありません。
 子ども時代に、きちんと「平和教育」「人権教育」をしていく重要性が、ここにあります。教育の場における、そうした一つ
ひとつの積み重ねこそが、平和を築く礎となるのです。」158項


「人間は人間として教育されて、初めて人間になる。人間に生まれたから人間なのではない。人間として育てられて、初めて人間となるのです。だから、教育が大切なのです。」167項


「今、世界的に「教育の危機」が叫ばれています。このままでは「武器のない戦争」が始まると指摘する人もいました。軍服を着たり、兵器を使う戦争ではなく、陰湿な憎悪と嫉妬がぶつかり合う戦争です。
 勝ち負けが決まらないゆえに終りがない。そうさせないために教育はあるのです。大事なのは教師です。生徒一人ひとりを、わが子以上に大事にするのです。それが教育の真髄です。」175項


「生徒を自分以上の人材に育てよう−−その決心で進んでください」177項


「子どもたちと向き合う時には、同じ目線に立つことは重要で、とても大切な姿勢です。教育とは地道な作業です。一日や二日で結果の出るものではない。一人の人間を育てるというのは、並大抵のことではありません。それこそ、農家の方が雨の日も風の日も辛抱強く、一日一日と丹精込めて作物を育てるように、否、それ以上に、心と手間をかけていかねば本当の教育はできない。
 教師が心を砕いた分しか、子どもたちに伝わっていかないのです。「心こそ大切なれ」です。その心が、子どもたちの成長の力となり、糧となっていくのです。」180項


「子どもは、千差万別でうs。興味も関心も違う。きょうは、こうであっても、あすはどうなるか。一人の子においても、一瞬一瞬、変化の連続です。教師の生命のレーダーが、フル回転していなければ、彼らの心はキャッチできるものではありません。
 言葉や振る舞いだけではなく、その奥にあるものは、何か。声にならない声を聞き取るのですから、子どもの心音が伝わってくるような、濃やかなかかわり合いが必要です。」181項


「子どもたちと一緒に過ごせるということが、どれほどすばらしいことか、どれだけ得がたい経験をし、自分が成長させてもらっているのか、その原点を見失ってはいけません。一日経てば、それだけ「新しい成長」をし、「新しい進歩」を遂げるのが、子どもです。その新しい成長や新しい進歩が、教師にとっては「新しい発見」となり、「新しい感動」になっていく。その繰り返しの中に、教育の醍醐味があるのです。
「ローマは一日にして成らず」との言葉がありますが、地道な毎日の積み重ねの中でしか、花を咲かせることはできないのです。」182項


「「志」が「人」をつくる。大きな志は大きな人生をつくる。教育の核心は、その「志」をどう引き出し、力を発揮させるかにある。」184項


「だれに勝つのでもない。自分に勝つことです。その人が最高に偉大なのです。「自分に勝つ」−−それを教えるのが、教育の根本です。」184項


「人間教育の根本も、「生命を大切にすること」である。だから、「絶対に人を殺してはならない」。だから「絶対に戦争を起こしてはならない」。簡潔にして根本の原則である。この点だけは、二十一世紀の世代に峻厳に教え伝えていかねばならない。」197項


「生命を生んだ宇宙は、地球は、そして母は、わが子を「かけがえのない存在」として大切にします。そういう絶対的な優しさ−−「生命への慈愛」を、社会に広げていくことが、二十一世紀にとって、一番大切ではないだろうか。」198項


「優しさほど、強い力はない。優しさほど、人の心を制服するものはない。優しさほど、強く、明るく、永遠性の光はない。人の胸に明かりを灯す光明です。希望の光を与える。真の「ソフトパワー」です。」201項


「平和とは、おとなしく、のほほんと暮らしていくことではない。人を苦しめる「悪」と、敢然と戦っていく。非暴力で、戦っていく−−その行動の中に「平和」がある。いな、そこにしかないです。
 その「悪と戦う心」をなくして、皆が無気力、無関心−−「どうでもいいや」という風潮になったとき、それはもう、社会は「戦争」の方向に大きく傾いていると言っていい。」203項