シャンボリオン

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 有名な「十進法」や、「太陽暦」など、エジプト文明は、五千年の時を超えて現代に光を放っています。その輝かしい歴史を後世に伝えたのは、無名の「書記」たちでありました。彼らは、ちょうど皆さんと同じ十代のころから、徹底した「鍛え」の日々を送りました。先輩について、複雑な文字の暗記や文章の暗唱、筆写などの厳しい訓練に明け暮れる毎日でした。古代エジプトの文字は複雑な形で、細かく分けると三千字近くもあったといいます。それらをすべて覚え、読み書きできるようになるには、たいへんな努力が必要でした。葦のペンを使い、パピルスの巻き紙に、一文字、一文字、丹念に書き写す作業を粘り強く続けました。太陽の王国エジプトの「栄光の歴史」を残したのは、若き日より自分を鍛えぬいた俊英たちだったのです。

 この古代エジプトの書記の像が、現在、パリのルーブル美術館にあります。あぐらをかいて座り、ひざの上に紙を広げ、ペンを構えて鋭く前方を見つめている。集中力と気迫に満ちた姿は、仕事にかける「使命感」と「誇り」に輝いています。ところが、この書記たちが書き残したエジプト文明も、その本当の姿は、後世の人々に長い間、知らされませんでした。古代エジプトの文字であるヒエログリフが、解読されていなかったからです。
 古代文明の英知は「謎」に包まれていました。その扉を最初に開いたのが、フランスの「エジプト学創始者」、シャンボリオン(一七九〇年―一八三二年)です。幼いころから考古学に興味をもっていたシャンボリオンは、十代前半のある日
、エジプトに詳しい学者の家で、はじめて、ヒエログリフのきざまれた石版に出あいました。夢中になって見いりながら、「これは読めるのですか」と、シャンボリオン少年はたずねました。学者は首を横に振ります。少年は「では、ぼくが読みます!」「ぼくが大きくなった時に!」と、確信をこめて言い放ったのです。
 そして、彼は、アラビア語、シリア語、カルデア語、コブト語等、エジプトに関係のあるあらゆる言語を勉強しました。古代文明の解明という壮大な夢を描きながらも、語学という基礎の中の基礎、地道な勉学に、徹底して打ちこんだのです。その道程は、決して順調ではありませんでした。努力が認められて得た大学教授の立場も、政変のなかで奪われました。学問の師匠から見放されました。ライバルたちは、華々しく論文を発表していきます。彼は底の破れた靴をはき、ぼろぼろの上着を着て、寒さに震える日々を送っていたのです。
 しかし彼は、どんな境遇になっても、勉強をやめませんでした。「努力」と「夢」を捨てませんでした。そして、ついにシャンボリオンは、完璧なヒエログリフの解読に成功したのです。「ぼくが読みます!」と叫んだ日から、二十年の月日がたっていました。
 ヒエログリフの文字は、「意味」を表す場合(表意)と、「音」を表す場合(表音)の両方に使われます。シャンボリオン以前の研究者たちは、表意か表音か、このいずれしかないと決めていたため、行き詰っていました。シャンボリオンは、語学の基礎があったので、古い先入観に左右されませんでした。そして、誤った学問の伝統を堂々と打ち破ることができたのです。
 解読成功から六年後、シャンボリオンは、はじめてエジプトを訪れました。そこで実物のヒエログリフを調査して回りながら、「自分の研究は正しかった!」と、あらためて確信したのです。彼は、この旅の四年後、四十二年という短い生涯を終えましたが、青春時代の努力を「勝利」で飾った人生の最終章は、彼からはじまる「エジプト学」の発展とともに、不滅の輝きを放ち続けています。
 エジプトの文化を後世に残した書記たち、その英知 を未来へと開いたシャンボリオン。ここに共通するのは、いずれも皆さんと同じ若き日に、徹して勉強しぬいたということです。一面、地味で単調な「努力」の積みかさねによって、「古代の英知」と「未来の人類」とを結んだのです。
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