二育論

これは牧口先生が二育論について述べたもの。
「知育、徳育、体育の三つの区分は、教育学上殆ど自明の理のように見做されて居て、それは科学者にも、実際家にも、疑を挟む余地のない様に権威を有して居る。従つてこれを基幹として、幾多の選択学科の配当に迄も及んで居る。けれども仔細に精査し、それ等が学問上必然の道理に基いているかを詮索して見ると、いかに思索をして見ても其の区別の要点を見出すのに苦しみ、又実際上の価値より見るも、どんな必要あつての区別であるかの判断に苦しまざるを得ない。」『創価教育学体系』第1巻
「智育をしないで、徳育が出来るか。智育徳育対立の思想は、この両者を全く別の作用と考へた不合理より来る。徳育の一部分をなす道徳的知識に養成は、智育の理法に従うことに於て、智育と異る所がないからである。徳育を含まぬ智育はあるが、智育を含まない徳育は成立しない。それは他の体育と智育との関係とは違う。体育と智育の関係は、両者総合に相包含しないでは成立しない関係がある。両者は一体両面の関係なるが、智育と徳育とは全体と一部分で、しかも発生に前後の関係の差があるのみである」『創価教育学体系』第1巻


「牧口先生も、『要は、子どもたちを育てるのに、なにが必要か。これは知力と体力で良いんだ』と。今、巷で道徳とかですね、倫理とかよく言われていますよね。愛国者を育てようとか、道徳が大事とか。道徳の教育はいらないと牧口先生は言うんですよ。牧口先生はね、健康な体力、つまり健康な身体と、それから優れた知力、一般的な知力と言ってもいいでしょう。普通の知力。知力と体力があれば、必然的に道徳というものが出てくるんだと。まともに考えて、普通の健康な身体であれば、道徳は必然的に身につく。それを押し付けるな、というように牧口先生はおっしゃっているんですね。」「創価学園創価大学創立者」(第1回)『創価教育3号』89項


・ここの知力には知識や知恵、
考える力、想像力などいろいろ含まれると思うけれど心底そうだと思います。