本 創価教育学体系

いろいろな教育論を学んでから読み直すとあらためてすごい本だと思います。
今もいろいろな教育論がありますが、結局ここを超えるものはないように思います。
偏見で宗教の話じゃないかと読まれない方もいるかもしれないですが、どんな人にも一読される価値がある本だと僕は思います。
牧口常三郎のベースはカントなどの西洋哲学や社会科学などの科学的思考にあります。その延長として信仰にたどりついているという感じです。教育論や価値論などの哲学的な部分は西洋の学問をベースに話が進んでいきます。この本はタイトルにあるとおり教育学の本です。
ここまで頭脳明晰な方がいるのかと思います。本当に光が差し込んで明るくなるような本です。



創価教育学大系概論 (レグルス文庫)

創価教育学大系概論 (レグルス文庫)

これはマルクスでいう「経済学・哲学草稿」にあたります。



牧口常三郎の思想

牧口常三郎の思想

東大で十年に一人と言われた学者の研究の集大成となる一冊です。
僕が人生で出会った本の中で最高の本の一つです。
他の著書も本当に素晴らしいです。
ドストエフスキーを読んだ時と同じこれが本物の一流なんだと思いました。


≪牧口は「価値の創造」の概念=術語を人類普遍の科学的真理と考えていたゆえに、吝しまず引用し、敢て危険をも冒し、同時代の最高知を頒ち合うことを幸福の一形式と観じました。≫23頁


「『創価教育学を一言に要約すると、どうなる』といった虫のいい質問を受ける機会があります。そういうとき、即座に『頑張ることをやめよ、頑張らずに頭を使うよう努めよ、というふうに要約し得ます』と回答することにしています。すると、相手の質問者は、露骨に惘れ顔をしてみせ、わたくしの前から立ち去って行くのを常とします」48項

「本物の知者=知識人だったらならば、戦前戦中(いや、現在とても然りですが)日本の学問水準が到底『知育偏重』の水位まで上昇しておらず、あべこべに『知育偏軽』『知識貧弱』(従って『道徳偏軽』『道徳貧弱』)の海底面に釘付けされたままでいることを、看過誤認することは無かったのです。本物のなかの、すぐれて本物の知識人だった牧口の眼には、日本の教育現実はどんなに暗澹たる光景(げんに彼は日本を『教育中毒』と呼んでいる)として映ったか。七十年後の今日とて同じです。
 小学生が、自分の気に食わぬ子をいじめて平気でいる。中学生が、公園のベンチに寝ている老人を殴り殺す。高校生が、酒や麻薬や性暴力その他の犯罪をおかす。――これらは知育偏重・徳育偏軽が原因で生起することなのですか。すべては知的に貧弱劣悪だから起こると理路整然と分析し論証してくれる牧口『二育説』および『日本人知識貧弱説』に、賛成せざるを得ないではありませんか。俗説世論に逆らってでも、いま、『知育偏軽』の教育現実に立ち向かおうではありませんか。
 一見迂り道のようにみえても、知識=知性を最大限に働かせて人類普遍の真理を獲得することこそ却って幸福実現への捷道となる、との見通しに立つ牧口教育理論は、今なお正しく新しいのです。」70項




「智育をしないで、徳育が出来るか。智育徳育対立の思想は、この両者を全く別異の作用と考へた不合理より来る。徳育の一部分をなす道徳的知識の養成は、智育の理法に従ふことに於て、智育と異る所がないからである。徳育を含まぬ智育はあるが、智育を含まない徳育は成立しない。(中略)智育と徳育とは全体と一部分で、しかも発生に前後の関係の差があるのみである。」(『牧口常三郎全集第五巻』100頁)
二育論と三育論の問題。
スペンサーを誤読したまま突き進んでいる日本の教育。
科学的思考を教えようとしているのに、
科学的でもないし論理的には誤ったまま進んでいます。


テキストにもとづいた解釈ではないという意味で非科学的な誤読である三育論のままで日本の教育は進んでいるということを知った時は驚きました。これからもおそらく誤読したまま進んでいくかと思われますが(だから「心のノート」なんてものを作るんだと思います。)、このことを知っておくことは大切だと思います。


この誤読のおかげで、
多くの貴重な時間を無駄にしてたくさんの教育のチャンスを失い続けていると思います。


知育が大切だというのは自分の経験からも強く深く共感する考えです。
毎日のようにお酒を飲んでいたアルコール中毒の高校時代(友だちも親も自分の命も軽く扱う生き方だと思う。強制じゃなくて自分の知性で正しい判断をできないといけないです)。
暗愚としかいいようがないです
(そうしなきゃやっていけない、
自分がいたことを考えると、かわいそうだとも思います)。
賢明な人は絶対にそのような愚かな生き方を大切な時期にしないと思います(少しくらいはあるかもしれないですが…)。
自分はたまたま死ななかったですが、そのような自暴自棄な生き方(お酒やケンカなど)で命を落とす若者は多いのではないかと思います。その原因の一端は学校教育にあるかもしれません。その自暴自棄な生き方の巻き添えになる人もいると思う。悲しいことです。


自分が地獄のスパイラル(ただ反応しているだけに近い生き方)からまともな理性ある幸福の軌道(スパイラル)へ移行できた根本原因は僕の場合は読書としかいいようがないと思います(読書はリアルなよき出会いにもつながっています。信仰にもつながっていました。本物の学問にもつながっています)。だから僕は読書にこだわるんだと思います。それに知育にもこだわりたい理由もそこにあると思う。自分の心を救うのは自分にしかできないと思う。他人の心を自分の力にできるのもその人の心だと思う。パスカルのように理性的に信仰を選ぶこともできる。