教育

ソフィストたちとソクラテスの違いが重要だとプラトンを再読して思いました。
ソフィストたちの教育は現在の社会の要請に答えるものだったと解説があって、思い出したことがありました。論理的に今の社会に合わせていていると、社会は変わらないことになってしまう。変わらないってとは現実にはあり得ないと思うけれど、今の社会が好きなのか?このシンプルだけど基本的な問いかけ。今の社会の要請というよりは、これからの理想的な社会に焦点を合わせる。どんな社会にしたいのか、どんな社会であるべきなのか、そこから出てくる人間像。でもマルクス主義の国にあったイデオロギー教育も思い出すけれど、それは真の理想の国を目指す教育とは違うと思う。


自由がない灰色な世界でない。自由はあるけれど、たんなる弱肉強食の社会ではない。他にもいろいろ考えられる理想の社会について考えると、まさに一つの思想教育ではなくて、哲学する人間と哲学することに到達する教育のイメージが出てくる。



基本的な問いには向き合って、何ができるのか考えたい。でも少しは考えているから、今の自分がある。


ただその理想社会に向けて子どもたちをしっかり育てることができている自信はないです。教え子たちはいろいろ人に関わって育って行くので、自分が全部役割を果たせるなんて思えるわけないんだけど。その一環に関わっていて、少しでも助けになりたいと思う。もっと力がほしい。もっと力をつけたい。