読書 『誤りから救うもの』

学問の否定によってイスラム教が守られると考える人の罪。学問なしだったら宗教は、狂信と変わらない。多分命の姿勢の問題なんだと思う。学問否定、学問軽視だと、多分その学問軽視の宗教や宗教団体に対する嫌悪が積もって、人が長期的に離れていくのは道理だと思う。ここの学ぶ姿勢が閉鎖的なのもダメだと思う。例えば、日蓮ガザーリーも自分の宗教以外も徹底的に学んでいます。自分のところだけといういう閉鎖的な態度は信用を失うだろう。今だったら、科学も一種の信仰なので、科学哲学を学ぶ必要が出てくる。もしこの時代に日蓮やガザーリがいたら、科学哲学を学ぶと思う。『誤りから救うもの』






「人によって真理を知ることなかれ、まず真理を知れ」→「法に依って人に依らざれ」「依法不依人」仏教と似ている。『誤りから救うもの』



ここの主旨と関係ないけど教育上、鉈を一歳くらいから使わせる地域もある。教育の発達段階理論の何歳だからどうだとかいうのは地域社会に依存したもので、絶対的なものではないということ。幼児だから鉈を禁止するという発想と、教育の発達段階理論は、同じ根っこから生まれたもの。『誤りから救うもの』

つまり地域的な限られたデータを一般化したものすぎない(しかしその地域でも反例がたくさん出てくる、心理学の発達段階理論については。参考になるというか、むしろ有害かもしれないです)。それが人一般に本当に当てはまるかは別問題。