読書感想文

読書感想文についてもいろいろな視点から考えることができる。


子どもたちの視点と言っても、いろいろな切り口がある。


子どもといっても、一人一人違う。
僕が子どもたちを観察すると、読書感想文を楽しんでいる子も少ないけれどいる。あまり好きではない子もいると思う。どうでもいいと思っているような子もいると思う。


大人の人たちの中にも、僕は読書感想文がイヤでしたけれど、読書感想文を書くことも読むことも楽しんでいた人もいます。


イヤだ、嫌いというのは程度の問題でもある。死ぬ程、読書感想文が嫌いという人もいる。どちらかという嫌いという人もいる。嫌いだったとしても、ぼくみたいに別に嫌いでなくなる人もいると思う。


子どもたちの経験という視点から考えることもできる。
デューイが言うには経験には二つの側面があるという。
「何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。」
①快適と不快の側面
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすかという側面


読書感想文もこの二つの視点から考えることができる。



作文という視点から考えることもできる。
読書感想文は作文の一種だ。


ベーコンが「書くことは確かにする」というように、読書感想文にも、読んだことを確かにしたり深めたりする効果がある。


経験の二つの側面から考えると②に対応する。



読書感想文は本を読んで書く作文の一種。

本で読んで書くという点では、ブックレビューや読書ノートと変わらない。
ブックレビューは書評なので、説明的なところが読書感想文よりも強いかもしれない。
読書感想文は読み手の思いや考えを書くことが主の作文です。


違いがあるものの、読んだものについて書くということではやはり同じです。


読んで書くことはどれも、
読みを深くすることに繋がる。読んで書いたことは人と本を繋げてくれることがある。
それはブックレビューも読書感想文も同じです。



読書感想文は一つの作文のジャンルといってもいいかもしれない。


読書感想文は、作文の中でも難しいほうだと思う。読めないと書けないですし、ハードルが高い。


読書感想文は本との対話だと思う。
読んだ本について考えること。



読書感想文に限らないけれど、結局、どんなことでも強制できるものではないとは思う。
宿題だろうが、なんだろう、本当にイヤならやらなくていいと思う。本人が決めること。
絶対書きたくないという人に書かせることなんてできないですし、無理やり書かせることが賢明だとは思えないです。有害。





その一方、読書感想文コンクールの記録が本になっているけれど、あれは読書教育の財産の一つだと思う。読書感想文の宿題についてキレるくらいイヤな人がいると思うし(イヤなものはイヤでいいと思う。でも何かのきっかけでイヤでなくなるかもしれない。ずーっといやかもしれない。読書感想文に限らず)、読書感想文が読書嫌いを作ることもあっただろうけれど、読書感想文には、正の側面、価値的な部分もあるとうこと。


いやいやでなければ、読書感想文を書くことが読みや思考を深めてくれることは間違いないと思う。


出された課題をやるべきという考えや側面もあると思う。大人になっても宿題的な課題ってあります。世界には学習を仕事だと捉える人たちもいる。


読書感想文じゃなきゃいけないってことはない。
読書ノートでもブックレビューも書くという点で変わらないし、それでもいいと思う。


何であれ、
読んで書くことが必要なんだと思う。



子どもたちのひとりに一つパソコンがあるなら、パソコンでもいいと思う。小学生は手書きをやるべきという考えもあるだろうけれど。
パソコンがなければ、手書きでやるしかない。読んで何かしら書くこと(考えること)は必要だと思う。必要だと教育当事者が考えても子どもたちは拒否するかもしれない。


僕は読書感想文のリスクも認識するけれど、その価値を認めます。
読書感想文がすごく嫌いという人もいる。当たり前だけどどう考えようが、どう思おうが自由です。でも冷静に考えれば、読書感想文の価値をメリットを知ることができるんじゃないかな(そんなもん認めない!という人もいると思う。大人は読書感想文という形式で進んで本について書かないという批判もあると思う。一番盛んなのはレビュー、たぶん。)。簡単に切り捨てるにはもったいない積み重ねが読書感想文(とその歴史)にはあると僕は思います。


読書感想文って読んでみると、
ちょっと胡散臭いパフォーマンスに感じるものもあるけど、
真摯に本と向き合って思索しているのが伝わってくるような作品もある。



読書感想文もスポーツにサッカーやバスケットボール、走り幅跳びなど、いろいろな種目があることに似ているような気がする。作文の中に、あと本を読んで書けるジャンルの一つとして読書感想文があると考えられる。


「教育者の基本的責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけでなく、さらにどのような環境が成長に導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてものが引き出せるようにと存在している環境−自然的な、社会的な−をどのように利用すべきであるか、そのことを知らなければならない」デューイ『経験と教育』57項


このデューイの言葉から考えても、教育に利用できる環境の一部としても読書感想文を考えることができる。どんな読書感想文を読んでも下らないと考えたり、悪い評価する人もいるかもしれない。でもそこに豊かな思考があると評価できたら、子どもたちのために読書感想文を利用できるかもしれない。


僕は読書感想文自体に今は嫌いでないだけで、それほど特別な気持ちはないです。でもいい感想文もあるなと思うので、子どもたちを成長に導くような学習材料として使うことを検討しているし、ここ数年間は試しに使っているところです。手応えはあります。絶対感想文である必要はないと考えています。


アトウェルの学校では教えてもらえるのは、レターエッセイ、確かブックレビューも。