パーカースト

ドルトンプランも今で言う個別化だけど、パーカーストの個別化もたしか苫野さんが提案していた個別化も経済(効率)の文脈で語れていた。「経済」も欠かせない原理だと僕は思う。


何がいいのかわるいのか、規範や基準となるもの。


過労社会から抜け出す一歩は、網羅的授業をやめること(コストが大きいわりに得られるものが少ないから。ただ質の高い本や講義は別かも。あと内容にも相手にもよるかも。)。
もそうだけど、それ以前に経済を原理とすることだと思う。


基本知識(これは必要なだけでいい)と学び方の習得の徹底。



ホワイトヘッドが言うには、
大量に詰め込まれた知識は空虚な知識。
それはカントの認識論を基礎に考えても、直観を欠く知識だから。




デューイのできるだけ直接教育がいいというのも、やはりカントの認識論の影響があるのだろう。