勉強するとは、どういうことだろう?それは「言語偏重の人になる」ことだ。勉強とは、言語とのこれまでの付き合い方から脱して、「新しい言語」のなかで変身することである。それは一種の「自己破壊」なのだ。だから、勉強とは、知識やスキルを足し算することだと思うべきではない。むしろ、「これまでの自分を失うという損」をあえて選ぶことだ。変身の試練を受け入れてこそ、自由と喜びの新地平を開くことができる……。このようなイントロから始まって、本講義では、勉強の本質とは何かを、「言語」および「行為」の観点から哲学的に考察する。かつ、EvernoteやWorkFlowyといった知的生産ツールを使って、生活のなかに「勉強のタイムライン」をどのように実装するかを説明する。(講師記)

千葉雅也

おもしろそー。