ドクトル・ワグネルの教育学とライネルの現象的発見法


今でも参考になると思う。



(一)経験法=経験を認識の基礎とするもの。其の最近の発達は実験教育学である。
(二)推定法=(一)と正反対で演繹的に思索的に教育問題を討求するもの。
(一)は後天的に経験の事実にのみ基づくものであるから、その範囲が限られに、(二)は先天的に推定された原則より進んで行くから其の結果が漠然としておる。故にワグネル氏に従えば、両者ともに一方に偏しておるが故に、第三の方法がある。
(三)批判法=事実に基づいて其の価値を批判的に考察するものであるから、先天と後天との二であり、認識の基礎となるもので、教育学の科学的建設は、その方法に依ってのみなされ得るものである。其の中として左の事を挙げて居る。

(1)現象的基礎批判。(2)価値教育学的批判。(3)文化教育学的批判。
 現象的基礎批判。即ち現象的記述的方法として、ドクトル・シュルツ氏の主張によれば、経験的現象学と称するものがある。大学生を率い諸学校の教授を参観して、それを詳細に記述し、充分なる研究をなし、含蓄されてある教育学教授の真義又は価値を見出すことである。教育教授の実際の事実は、教育学を研究する者に取っては、金穴のように貴いものであるが、実際教育家は余りに馴切っておるために其の金穴の膝元に在ることに気付かないと。これについては槇山市は独逸の教師に加えた左の批評は、我が国現時の教育者にはかなりの驚異に価するというて居る。且つライエル氏の現象的発見法を左の如く紹介して居る。例えば新しく組立てられた顕微鏡があって、其の構造や機能を知らんとする場合に、二つの仕方がある。其の一つは此の新顕微鏡を全体としても部分としても、充分に観察し、又これを其の部分に分解し、再び之を組立てて見る。斯様に観察し、実験して、此の顕微鏡の如何なるものかを調べる。其の二は此の顕微鏡を実際に使用して見る。即ちこれを用いて種々の物体を観察する。そうすれば此の機械の特別な機能がわかるばかりでなく、其の取扱いの方法もよくわかる。観察されたる物体が既知のものであっても、之を方便として顕微鏡其のものの本質が分るので、此の第二の仕方が現象学的発見法に相当するものである。此の説明を適用して見れば、教育教授の研究に於ける現象的方法は教育事実は外部から客観的に観察するものではなく、其の中に入りて直接に事実を掴むことである。即ち他の授業を参観することではなくて、自ら授業をして見ることである。シュルツ氏は実際家は其の事実に馴れて、日々の教育事業に多くの問題が含まれていることを気づかないから其の発見は学理を扱っておる学者がなさねればならぬように云うているけれども、我輩をして云わしむれば、実際家殊に進歩的なる我が国の教育者が如何にして、今少し覚醒したならば、教育教授の研究を有意義のものたらしめ、有効なる教育学を建設することは決して不可能でないと思う云々。(昭和四年一月 教育研究第三三七号抜粋)

創価教育学体系Ⅰ』p105