読書 中動態の世界

僕は日蓮仏教の、全ての法(現象)は南無妙法蓮華経という一法の表れであるという思想を信じる家庭に育ったので、スピノザの「神すなわち自然」という思想(全ては、神の表れであり、神が変化したしたものだという考え)に親近感をいだいていました。


國分功一郎さんの『中動態の世界』のおかげで、中動態から考えることによって、スピノザの考えや世界観がより明確になりました。


関連して、このゲーテの言葉をよく思い出します。「あらゆるものが一個の全体を織りなしている。一つ一つがたがいに生きてはたらいている」ゲーテ。この世界の存在自体がとても不思議で不可解ですが、あるものは受け入れるしかないのかな。


花を見ると、心が動かされるものがあって、この世界を肯定的に考えることができる。呼び方はなんでもいいけれど、神様や南無妙法蓮華経様と呼ばれる存在を、花をみた時に僕は感じることがある。花も私も、その一部であり、全体でもある。花も私も南無妙法蓮華経である。花も私も南無妙法蓮華経が構成したものだ。私以前の存在。私が構成される前。ゲーテのいう「一個の全体」。


私は、この宇宙が構成したものだ。私を全体(南無妙法蓮華経という一法)が貫いている。バラバラで一緒。



コップが存在するのではない。存在がコップするのだ、ってもう疲れた。