日蓮仏教と教育(読み方)

日蓮仏教の話でたしか3段階の読み方がある話と教育がつながった。ユーリアエンゲストロームやブルームとも繋がった。西洋哲学とも繋がった。
なんでも深くではつながっている。


①情報を取り出すような表面的な意味の理解
歴史学者など行っているもう少し深い理解ができる読み方
日蓮仏教ではあと「おうてい(漢字忘れた)」の読み方というのがある。


③の読みかたをすると例えば日蓮の解釈では、法華経全体が南無妙法蓮華経の一法を説明していると読みます。


戸田先生が法華経の「じがげ」をじがげの最初「自」と最後の「身」というつなげて「自身」と読んだという読み方を思い出した。日蓮大聖人にしても戸田先生にしても、凄い読み方をされると思います。南無妙法蓮華経とは自分自身のことです。法華経の一つ一つの比喩は自分自身のことです。③の読み方に近く感じる思考(直観智)が思考の本の中にありました(西洋哲学の分野でも似たようなことがあるらしい)。そして現代的にはなんとかシンキングというらしい。『課長の教科書』を書いた人の最近の思考についての本。


①②の読み方の仏教での名前は忘れてしまった。
③の読み方①と②がベースになっていると思う。
でも①と②がそれほどできてなくても③の読み方ができちゃう人もいるのかなと思います。


このことについてはちゃんと言語化されているのでまた読もうと思います。
②の読み方は関係を丹念に追って解釈する。
③はひらめきだと思います。
記憶が曖昧で間違っているかも。


このひらめきから自然科学では画期的な真理(理論)が創造されることがある。