パタン・ランゲージ

パタン「目の前に山があれば登りたくなる」
これは僕の経験と人から学んだことから作ったパタンです。

・前に坂内智之先生のネット上のグループで一緒に学ばせてもらう機会があって、そのときに坂内先生や古田先生が原稿用紙を両面に印刷していました。作文で、片面だと、もう一枚もらうのに少しノイズがあるわけですが、両面だとすんなり裏に書いていくことができます。これはかなり大きくて、子どもたちは片面よりも両面の方が量を書ける傾向にあります。さらに裏面まで勢いよく書ける子は、その800字を超えて次の両面原稿用紙に進む子も出てきます。

・社会科の授業で研究をしていた先生に、「予習大事ですよね。子どもたちはよく予習してきていましたけれど、何か工夫をされているのですか」と聞いたら、ワークシートのプリントで予習してくる宿題を出すと言って
いました。そう他の先生に教えてもらったと。社会科に限らないですが、ただノートにというよりは、プリントの方が宿題として提出率が高くなる傾向にあると自分も子どもたちを見てきて思います。

こういう経験や学んだことを比べて、共通するものとしてパタンを取り出しました。

このパタンだけでどうにかなるものではないですが、坂内先生の実践の一端をそのときに見せてもらった時もそうですし、他の先生もそうですが、良い実践をされている先生は、どの先生もパタンを重ねることで質の高い実践を創り出していると認識しています。

坂内先生や古田先生は、さらに原稿用紙の下に文字数、「100」「200」とかを入れて、何文字書けたかも、子どもたちが自覚しやすいように原稿用紙を作っていました。これはどれだけできたかすぐに認知できるようにデザインされています。この原稿用紙という教材だけでも、400字の一般的な原稿用紙を渡すのではなくて、その元の原稿用紙にパタンを重ねてデザインし直しているわけです。

『学び合い』も授業パタンの一つですが、優れた敎育実践には、それだけではなくて、大きなパタンから本当に細かいパタンの積み重ねがあって、パタンの圧縮があります。

ちょっと話がずれてくるけれど、一番影響があるのは、教師の一念だと思うけれど。

教員は、良い教育ができたときに、そこにどれだけのパタンの圧縮があるのか、自覚できていないことがとても多いと思う。だから振り返ることには、この圧縮されているパタンを言語化、意識化する働きがある。

例えば、ある優れた実践者のやり方を真似て上手くいくことがある。でもその真似た人はなぜうまくいったのかうまく言語化できないかもしれない。その教材にはパッと気づけるだけのパタンだけではなくて、たくさんの教材のデザインパタンが圧縮されているからだ。それだけではない。授業や、子どもたちの経験は教材だけから作られるわけではない。そのほかにもたくさんの教育パタンが重なっているのだ。

ここから考えらえることは、ハッティの研究を見て、ある項目のパタンが効果的だったから、それだけ取り入れてみようというようなものでは、あまりうまくいかないということ。パタンを重ねて圧縮していく意識が必要だということ。優れた実践者は、それを高レベルで自覚的に行っていると思う(パタンという言葉で考えてなくても)。