「よい教育は、パタンの圧縮をもれなく観察することができる。」
これは主語と述語がねじれている文。でも、前に書いた作品では、この文から始まるのですがそのままにしました。

なぜかというと、アレグザンダーの本を読んで、その後に最初に出できた言葉だというのと、なんだかインパクトのある文だと思うからです(「(私は、)よい教育には、パタンの圧縮がある(と考える)」とか修正してもいいけれどやっていない)。

ピカソみたいな感じです。
花売りという絵画は、一つの平面に横から見たり、正面かり見たりが混ざっています。そんな感じです。

なぜインパクトがあるかと考えると、俳句的な省略と圧縮があるからだからだと思う。

普通変だとなと思う文だけど、その後を読むと意味が伝わるというのもある。その後に戻ってくると俳句的な省略と圧縮があることを知るという不思議。