数学教育の新しい潮流に参加主義というのがあることをはじめて知りました。そこでわかるようになったことは数学の授業は状況に依存していること。マルチモダールな談話の変化に注目することが大切だということ。要するに子どもたちが書いたり話したりしていること、図示していることなどの変化に注目することが大切だということだ。でも、そんなこと教師だったら、誰でも考えているし、心掛けていることだよと思ってしまう気持ちを押さえようと考えてしまうけど、まだそんなところなのと正直思ってしまうところはあります。人によって、その談話を思い起こしたり、書いたり、ビデオカメラだったり音声録音だったりで記録してきて、そこから何が言えるのか、どの手立ての影響なのかといろいろ考えてきたわけだ。リアルタイムでも、子どもたちの話していることや書いていることは決定的に大事で、そこに細心の注意を払うのが定石だと思います。
 
神経科学の教育への結論に練習することっていうのがある。繰り返し練習することで記憶が定着するわけです。それについて脳を観察器具の発展により実際に見ることができるようになった。しかし、そんなこと100年前の教師だってわかっていることだとやはり思ってしまう。
 
でも大事だなと思うのは、思いつきとか、当てずっぽうとか、一人の人の思い込みじゃないレベルで、脳神経で誰でも観察できるし、再現可能なんですよという厳密な学問のレベルで言えるようになったことが大切なのかもしれない。
 
ドリルはいらない、練習は必要ないみたいな極端の教育論も見かけるけど、ある意味、そういうエビデンスで、極論を却下したり懐疑したり、反論したりできるわけだ。