大学生の時にフロイトの全集を読んで超自我という概念を学んだ。超自我は、自分の中の規範みたいなもの(この概念との出会いはかなり衝撃的で、自分の中の師弟とは、この概念に当てはまることだと当時は思った)。宗教や信仰は、自分の中に規範、法を打ち立てる。これは国が立法することに似ている。その超自我に自分に厳しいモラルを課すような、規範の立て方、生き方をしている時期があった。ちょっと無理があって、続かなかったのだけど。その超自我が今は、よく言えば柔軟、悪く言えば緩くなったと思う。これは程度の問題でもある。その規範が厳しかった時期は長く続かなかったけど、今は、その時に出すことができていたような力を出すことができなくなってしまったように思う。でも、前に戻りたいかというと戻りたくない(僕は確実に前に進んでいると思う。決して、後退ではない)。これはラカン精神分析でいうとファンタスムの更新という現象なんだと思う。戻るのではなく、ここからさらにファンタスムの更新を進める以外に道はなさそうです。

ヘーゲル弁証法とも繋がるけど、己の欲望を捉えつつ、自分の中の規範も必要。どちらかではなくて、大切なのはそれぞれの矛盾と否定から生まれることなのだ。

弁証法については、仏教にも似たような考え方があって、自分は仏教を通して自然にその考え方を身につけていたようです。

前の自分に戻ることはできない。立ち止まったり休んだりしながらも、進み続けるしかないし、突き抜けるしかない。