千葉雅也さんと清水俊史さんに共通するところとして、カントにしても、ブッダにしても、できるだけ、すごい人だったというバイアスに気をつけて研究するということ。
それでもすごい人だったとなるのだろうけど。確かに神格化することが誤読にはつながるのかもしれない。というか、清水さんの本から考えるとつながるのだろう・・・。
 大学生の頃に大乗非仏説に信仰者として向き合ったけど、究極的には誰が言ったかは問題ではないんですよね。ある命題が真である時、誰が言おうと真です。この地球のある人間だけが正しいことを言っているとすると、その人がいない時代の人は救われない。仮に地球外生命体として宇宙人がいたとしても、その人たちも救われない。この宇宙には、寿命があることがわかっているけど、この宇宙の人だけに依存すると、他の宇宙の人が救われないです。ある特定の人、場所は、実は問題ではない。にもかかわらず歴史上、特別な人はいたと思います。なぜなら、本当のところはどうだったかという問題は、どう生きるかという問題に繋がっているからです。ブッダも認識や思想で生き方が変わるわけです。それはソクラテス、イエスも同じです。特別な認識をして、特別な生き方をした人たちがいたということです。