インド哲学が専門の知人の方もアカハラを受けていたので、この方には頑張って欲しいけど、それでも解釈のドロドロしたものを読み取れる。
ブッダに近代的な価値観を当てはめて読むことが新たな神話的なブッダを生み出すことだったという本。その上で、さまざまな仏教学者の論者の説を批判して、清水さんの結論を出していきます。
 ブッダは、平和主義ではなかったという命題があります。これは清水さんの結論なわけです。というのは、ブッダの時代の戦争が当たり前だった社会状況とブッダが戦争を止めなかったことを根拠にしています。しかし、ブッダは、戦争の無意味さについては語っていたと清水さんは言及していたと思います。このことだけからでも、ブッダは、近代的な価値観から平和主義者であるというのが誤りであると解釈できるとしても、ブッダが平和を志向していたことは少なくとも言えると思います。ある説を批判するのが主旨なので、それでいいのかもしれないけど、微妙なニュアンスを表現しないで、ブッダは平和主義者ではなかったと結論づけて終わるところに、復讐というか、言葉を巧み使った、解釈の復讐というか、そういうものを少し感じます。
そういうところも含めて、この本が面白くなっているところかもしれないです。
この本は、おすすめできますが、仏典自体も読んだ方がいいと思います。
解釈っていうのは、そういうものなので、なんでもいいということではないけど、面白いところですね。
清水さんは、近代的価値観をイエスブッダに当てはめて読んでしまうと誤ってしまうということを教えてくれたけど、近代的価値観に限らず、ポスト近代でも同じこと。先入観があればあるほど、解釈が歪んで真実が遠のく傾向にはあると思う。そのバイアスを抜く工夫が、ランダム比較試験みたいに人文学に必要だということが言えると思う。そういう意味で解釈の勉強になる。解釈のコツ、パタンを重ねれば、やはり少しでも本当に近づいていけるはずなのだ。歴史学は資料を解釈するしかない。
戦争のない世界のために、戦争反対というだけが戦争のない世界のためにできることではないということも思う。
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