休日読書 長田新著作集第四巻「教育哲学」
資本主義社会は、続いているので長田新の語っていることの延長に宇野さんの話がある。
長田新は、人を経験的に歴史的、社会科学にとらえることが教育学の土台であるという立場。この基本的な立場には賛成。もちろんそういう捉えから直接、教育方法が出てくるわけではないし、教育の営み、生活そのものの視点などが抜け落ちている。長田新が論じている視点だけでは、足りない。
そして、資本主義社会にある人の問題(例えばこの社会状況で人が主体性を得るにはどうしたらいいのだろうかという問題)を解決するには、究極的には、資本主義生産関係の廃棄することなしには、不可能だという長田の考えが明確に書いてある。
しかし、本当にそうだろうか。僕は、資本主義と折り合いをつけていくことが人や社会に不可能だと思えない。資本主義社会の構造的にお金、資本を得る、増やしていくという方向に人は、強いられてしまうわけだが、それを制限したりそれに抵抗したりことなどは、可能だと思います。この折り合いをつけていくことには、人の主体性がある。
長田が言うように、歴史の中の人間をとらえることは、教育の視点として一つの基本となる(一つに過ぎないけど、今も通用する大事な視点)。歴史の中の人間を歴史学的に社会科学的に捉えることで、教育に何が求められているのか、その解を一部、得ることができる。
グレーバーなどの脱線読書も無駄ではない。長田新の教育哲学の視点があったからより興味を持って読めたかもしれない。