『職業としての小説家』村上春樹
村上春樹も「効率」という言葉に対する捉え方が狭くて単純。僕も原発はないほうがいいと思うけど、原発のコストも複数の観点から考えることができる。物事を短期的に一つのコストでしか考えないような幼稚な判断と、経済的であること、効率的であることを一緒にしてはいけない。

想像力の先にこそ、真の効率、経済がある。

村上春樹の学校論。共感するところは多かった。

想像力の反対は、こういう単純思考。

コストといっても、短期的に考えるのは、もちろん、長期的にも考える必要がある。短期的、長期的といっても、具体的に10年後、50年後、100年後などさまざまなスパンでどうなのか考えたり、計算したりする必要がある。コストもお金だけではないです。時間、苦しみ、核廃棄物などさまざまあります。

短期的に、効率、お金優先で構成した判断から人が苦しむことになったとしたら、それは、効率ではなくて複数の視点から総合的に思考して判断できない単純思考(思考停止)にある。

想像力の対極に効率はない。
むしろ想像力の先にこそ、さまざまな視点から練られた効率が存在し得るだろう。想像力の反対にあるのは、単純思考(思考停止)。

コスト、効率、経済というのは、基本的な様々な思考や判断の視点の一つ。政策でも、個人の人生の判断でもいいけど、コストも効率も経済も考えないで、成熟したより良い判断がどれだけできるでしょうか。考えるべき視点は、効率(経済)だけではありませんし、効率なんて考えないでという判断も、もちろんあるだろうけど、この村上春樹みたいに想像力の対極に「効率」があるなんて、そんな単純なわけないでしょう。

村上春樹さんのこの部分と、桂聖さんという教育者に共通するのは単純思考だと思う。個人的には、見かけると不快に思うのと(実際に関わられるとすごく不快)、社会的には有害だと思う。

桂聖さんのTwitterのツイートで対立的に「旧学級経営」とか表現していることの一部はこれからも状況に応じて必要なこと。こういう一方のことを状況を無視して絶対化してご指導する人が世の中にはいて、本当に不快。社会的には有害だと思う、本当に。
https://twitter.com/satoshi1173ka/status/1698159414182809669?s=20

歴史の残るような教育論者みたいな人でも、こういう極端な単純思考の人を見かけることがあるけど、鵜呑みにしてはいけないと思う。