ここで言われる9の原則がどういうものなのか詳しく説明してくれている感じではないんだなー。しっかり理解するにはペスタロッチに戻ることが必要になるのだろうか。
 
総合が先で後に分解すべしというのは、言っていることはわかるけど、なぜ総合が先になんだろうと疑問に思って考えることがありました。確かに、説明文なんかは、序論、本論、結論、そしていくつの段落から構成されているのかとか、構造をつかんでから細かく読んでいくという順序になることがある。物語もそうかもしれない。そもそも総合が先というのを全体構造を先に掴むと読んでしまっているけど、それが合っているのか不安になってきた。総合って、今の教育の文脈だとそれこそ分解してわかったことを総合するという感じで使うけど。9の原則でここだけイマイチ理解が怪しい。他の原則だけど、ペスタロッチの直観教育から考えれば、そこから演繹されたもんだろうとわかるけど。経験から出発するで、なんで総合が先なんだろう。例えば四角形は四本の直線で囲まれている形だと教科書では定義されている。これは四角形を比べることが構成できることなので総合だ。長方形は4つの角が直角であるとなる。これは長方形を比べることができる構成でこれも総合。そして、長方形の向かい合っている辺の長さが等しい。これは一応、長方形を辺に分解して考えているから、長方形の定義から入って、辺に進むのは、総合が先で分解が後になるか。確かにこの流れが自然か。意味合いとして学習経済の意味がある。
 
分解と並べて総合を使っているのだから、全体構造を先につかんでから、細部にいくという捉えで合っているかな、多分。その方が経済。
 
これは、木を見て森を見ず、森をみて木を見ずに対応するな。どちらも見ないとダメだけど森(全体構造)が先で、木(分解)が後。
 
 
 

昨日、あと1話みて寝ようと思ったけど、面白くて少し夜更かししてしまった(「キングダム」)。かりょうてんの成長がすごく楽しかった。

 

各項目を一文以上でパタンの記述をしているチャレンジしてみようと思う。

 

ここでいう理論は、ハマる状況では規範的でもある。こういうパタンの記述を、アレグザンダーのパタン記述の構造で、各項目一文以上かければいいくらいの低いハードルで続きを書きたい。ペスタロッチ主義教育学の「既知から未知へ」みたいに、今の教育心理学でも定説になっているようなパタンと言ってもいい知見がある。その中でも「既知から未知へ」は、思想信条関係なく教育という状況ならほぼ全ての人のどの場面にも重ねていくことを検討すべきくらい重要なパタンだと思う。そこまで行かなくても、かなり多くの状況に当てはまるパタン(理論)はあるので、それをちゃんと明らかにして意識化におきたい。
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教育学の中でも特に大事なのは、
自分の直観で、繰り返し再現されて、
何度も確認できる考え(理論とか)だと思う。
それだけはかなり信用できる。
その考えを土台に考えていくといいと思う。
「直観なき概念は不毛であり、概念なき直観は盲目である」イマヌエル・カント
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アレグザンダーがパタンを経済の道だと捉えていることは重要だと思います。またパタンを記述に命令形の文があることから、パタンがある状況では規範的なものであることもわかります。
 
とにかく年末かな。そういう長期休み頼りはダメなのかもしれない。
平日にコツコツ頑張れるように組み込むくらいの覚悟がないとまずひとまずの完成にも辿り着けないかもしれない、生きている間に。

週末も飲まないと全然違う月曜日の朝。

ゲームちょろちょろやってもいい(気晴らしにはなる)。

お酒は、特別な時以外はやめよう。次のお酒は年末。

他には春休み、GW、夏休み。1年間に4つの時期かな。

お酒は心の誘惑があっても買わないで帰って来れたら、ほぼ勝利。

ちょっとお店から遠いところに住んでいるのがプラスに働いている。

 

セロトニンあまり出ていなくてちょと辛く感じることがある。

運動不足が大きいのかな。