祈る

やはりしっかり祈れると、
より自分をコントロールできるようになる。10年間の実感です。しっかり祈れてない時期もあります(一番できていたときは二年間くらい欠かさずに朝晩それぞれ30分以上は祈ってました。この時期が一番自分をコントロールできました。祈れてないときはまったく祈りのない晩もあったと思うし数秒とか、心の中で祈って終わりというときもありました。しっかり祈れていないときのほうが自分のコントロールのレベルが低くなる傾向にあると思います。自分の祈りがない人生を振り返っても同じだと思います。)。


同じような経験をされてる方はかなりいるのではないかと思いました。たぶん祈るという行為をする人は、どの宗教の人でも無宗教の人でも同じような経験(より自分をコントロールできる経験)をされるのではなかと予想します。最近ガンジーに関する本を読みましたが、やはりすごいコントロールです。たぶんトルストイも同じ、キング牧師も同じ。晩年に自分をコントロールする「実験」をしていたという事実からガンジーに関しては欲望がなくなるとか、欲望を完全に制覇する感じではないと思います。たぶんそれはトルストイキング牧師も同じ。欲望を肥大化させるのではなくて、自分をよりコントロールできる個人の集まりである社会を理想としたみたいです。自分の心の自治


ガンジーの場合は「実験」といって、自分をコントロールすることも挑戦の連続なんだと思いました。晩年のあのニコニコした感じのガンジーの見た目が好きです。


こういう振り返りも個人的におもしろい。祈ってもコントロールがうまくできないときもある。でも、祈るとコントロールできる傾向にある。日蓮大聖人の朝晩欠かさずに南無妙法蓮華経と祈って怠らすに磨いていきなさいという指導があるのですが、そうだなあと心の奥底から思うところがあります。


日蓮大聖人は死罪になっても、心が動じてないと思える記録が残っていて、ハンパない心のコントロールをされていたのだと思う。いきなりガンジーキング牧師みたい暗殺されてしまうこともあるけど(常にそういう危険があることを自覚していたと思う)、死罪はまた心に与える影響の質が違うと思います。恐怖だけどまた違う恐怖。ユゴーは死刑制度に反対する小説を書いていたと思う。死刑精度はなくなったほうがいいと思う。死刑を考えるとすごく恐いし、凄まじく野蛮な感じがして、最悪で最低な感じがします。