対談 池田大作 ハービーハンコック ウェインショーター

今は聖教新聞で連載している池田先生とハービーハンコックとウェインショーターとの対談がかなりおもしろい。


11月27日の新聞で一番印象に残ったところは、ハービーハンコックに対する母親の関わり方のところ。ハンコックは一時期ずるをして練習をさぼったことがあったらしい。それに対して母親が「ハービー、いいですか。レッスンが嫌なら、もうやめさせますよ。続けたいのなら、しっかり練習に励みなさい。すべてはあなた次第ですよ」と言ったとのことです。それでハービーはピアノのレッスンをやめました。しかし一年ほどたった後にまたレッスンを受けたくなり再開させてもらったという。その話に対して池田先生は「ハンコックさんの『学びたい』『上達したい』という自発の力が目覚めていくように、忍耐強く流れを作ってくれたのですね。ハンコックさんも、ショーターさんも、偉大な人間教育の母に育まれました。」と返答していました。この忍耐強く待つ、本人の選択を尊重する関わり方は凄いと思う。本当に子どもの意欲を育てるのはこういう関わり方だと思う。


自分はあまりできてないと思う(短期的な結果を求めすぎてしまっているせいかと思われる。でも自分なりにがんばって待っているつもりでした。あまりにも結果がでないと責めてしまっていたと思う。本当は自分の力の不足によると考えるべきだったと思う。)。振り返るとよくない関わり方をしているように思う。思っている以上に有害かもしれない自分の関わり方。強制もしないし、命令もほとんどしないけど、説得する中に、プレッシャーはかなりかけているかもしれないです。心のない勉強をしている子を呼び出して、「〜くんは何ために勉強してるの?」「これからずっと嫌々勉強するの?」「何のためか考えて、学校の勉強がどういう意味が自分にあるか自分の意味を考えないと勉強はずっとつまらないと思うよ」とか問いかけながら、でも結論は決まっていて語って説得をする(価値創造と幸福などの視点と不幸にならないためにどう役に立つかという視点から)。でもこの説得からたぶん自分なりに意味を見出して心のある勉強に取り組めるようになった子もいます。この語りはよかったのかもしれないです。効果の無い子もいますが・・・。


きつくは言いませんでしが結果が出ない勉強は勉強じゃないよと責めてプレッシャーを与えたことがあります。あと人の勉強の迷惑になる学習権を奪う行為に関しては、「学校は何のためにあるのか(現実はもう少し崩れた言葉)」など問いかけながらめちゃくちゃに叱ります。考えるとその迷惑をかける行動の奥には満たされない欲求がある。その欲求を価値的に満たすことが自分にできていない。ただ学習環境を守ることは自分の最重要の仕事。勉強の目的について考えてもらったり自分の考えを語ったり、学校目標について何度か振り返っているので、学校は何ためにあるのかと本気で叱ると伝わってくれている部分があるとは思う。


宿題とかもそうだし、ぶれない実践。実践や自分の関わり方を振り返って修正できるところは修正をする。環境だとかいろいろことの影響でぶれてしまう自分。不動の自分を創る。目的への一貫性がまだ足りないように思う。課題です。真の目的へ。


ぶれてることはあるけれど、できるだけ本人の選択を大事にしているので、学ぶことを楽しんでいる子がクラスにはたくさんいると思います。学ぶことを楽しんでくれているのが一番嬉しい。逆に言うと、学ぶことを楽しめてない子が心配です。授業や関わり方で、子どもの学習の意欲のプラスになっていることと、マイナスになっていることがあると思う。それを明確にして、改善すること。でもどうやって明確にするのか。


結果というか本気(一生懸命)のプロセスを真剣に求めることは大事だと思う。


学習環境を整備すること。自分がよき学習環境(ファシリテーター)になること。学習環境を守ること。学習の邪魔をしないこと。


待ったら現れる世界。心無いことをしないこと。ルソーを徹底する勇気。


とにかく自分のためにも、子どもために必死なんだなと自分のことを思う。悩みながらもがきながら仕事をしている。楽しいこともあるけど辛いことも多いか。この余裕のない感じがダメだ。力をつけよう。やはり根本的には生命力。祈って突き抜けるのが最善かと思われる。楽しむには生命力。