個性主義 学校教育

自分は自分の教育経験の反動から個性主義なのかもしれない(それだけじゃないと書きながら思った。個性を無視したら、教育は成功しないと思う。)。
画一教育だから悪、画一教育のすべてが悪だと思っていないけれど、
ミスマッチな教育に長時間、拘束されることに凄い嫌悪があります(ヘタな教え方で学ぶよりも、分かりやすい参考書を読んでいたほうが断然いいと読書できるようになった高校生の時からよく思っていました。嫌なやつだと思うけれど)。
自分で選んでるのだろうけれど。そんな時ほど選ぶ力がなかったといいわけしたくなる。ただミスマッチの教育があれば退学するなど学校教育から逃避すればいいんだろうけれど…。そんな単純じゃないですよね。今考えるとさっさとやめて大検を目指してもよかったかもしれないと思うところがあるけど。知識がないし、判断力がないしと自分の高校時代を振り返って思う。子どもに力がある可能性があると思うけれど、子どもってなんて弱い立場なんだって思う。自分も含めて教師が悪いと、たしかにかわいそうなことになってしまうのが子どもたちです。


学校教育の質が高まれば、たしかに家族による格差は縮まるのだと思う。そのことは自分も前から考えていました。だから学校教育の使命は重大で大きいです。みんなが賢明に幸福な人生を歩み、みんなで平和な世界を構築していくためには、学校教育の質が高まることが必要条件なんだと思います。



ワークショップなどの教育に画一的な側面がないわけじゃない。環境をデザインをして平等に画一的に学びの場を与えているし、ワークショップのファシリテーターは求めれば助けれてくれるし、教えてもくれるだろう。個性を大切にする(個性主義?)だから格差を拡大するとは限らないと思う。個性主義のメリット、個性を無視するデメリット。子どもの活動を中心にすると、できる子は意欲も高いどんどん伸び率が違う。その意味で格差は広がるかもしれない。でも合わないミスマッチの画一教育を長時間される悲惨さよりはマシだと思う。学校教育の経験の質を高めるために、信頼や自己選択、自己決定を大切にして支援するということは絶対に欠かせないことだと思う。