自我の拡大。これが学ぶことの最重要の意味の一つ。
前に創ったビジョンからは変わらない。
その方法もいくつかは、はっきりしていて、それを磨くのみ。


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わたしはひろがる (教室の絵本シリーズ)

わたしはひろがる (教室の絵本シリーズ)

昨日出会ったいい本。意識にいろいろことが入ってこれるようになる(=ひろがるわたし)。お勉強の目的の一つだと思います。例えば英語を勉強すれば、今までただのインクの染みや音だったものが意味として意識に入ってくるようになる。経済学の概念を身につければ、今まで目に見えないし意識できなかった経済現象がわたしに入ってくるようになる。苦労をすれば、苦労している人の気持ちがわたしに入ってくる。学問や読書の光で想像力が広がる。想像力が広がれば、遠い人の生活がわたしに入ってくる。


母校の創立者の教育ビジョンを研究している時に、
その関連で自我の拡大という話の日記を前に書きました。教育のゴールの一つだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/Teruhisa/searchdiary?word=%BC%AB%B2%E6%A4%CE%B3%C8%C2%E7
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今自分が自分の生を生きていて本当に夏目漱石の言葉も胸に染みてくる。正直、判断に迷うことも多い、もっと知性を磨く青春だったらと思う。


「学問は綱渡りや皿回しとは違う。芸を覚えるのは末のことである。人間が出来るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る。好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。」夏目漱石



最近、反医療の人たちの記事を少し読んだ。たぶんそこには本当のこと、嘘のことが混ざっている。素人には判断が難しい。でも僕は基本的には批判、吟味しないというわけではなくて医療のこと、科学のこと、学問の積み重ねのことを信じようと思う。プロセスがしっかりしているからその分だけ信じられる。それって大事かもしれない。STAP細胞の件に関しても、もし論文のプロセスや結果に少し欠陥があったとしても細胞の自体がなかったというのは考えにくいです。なぜなら、それを学術の成果として発表して実用化を考えていたのだから、そんな嘘や捏造はすぐに見抜かれてしまうことが学問や科学の考え方を知っている人には誰でもわかることであり、もしそんな嘘や捏造があることが分かれば、その論文の発表者の研究者として信頼はなくってしまうことは間違いないからです。心理的に考えてそんなバカなことをするとは考えにくいです。研究の競争の中で不正や間違いがあったのかもしれないけれど、これでSTAP細胞がなかったとすれば、普通の心理では考えにくい不思議なことが起きたということになると思います。人は見た目では分からないかもしれないけれど、そういう人にまったく見えない。



社会科の学習に関しては学習材を自分の生き方に繋げること、相互依存関係の理解に繋げること、関係、ループ図、因果など、重要なコンセプトやツールの理解に繋げること。指導書にもあるけれど、足りない要素があれば加わって、これが探究学習のセントラルアイディアになる。