まだ読んでいないけれど、レビューを読むと、状況に応じてケインズは経済について考えていたようです。
 
カントは、道徳を考えるときに、演繹的な思考法で考えました。なぜなら経験的に出てくる理論はどれも必ず不完全だからです。しかし、前提が間違っていれば、そこから導き出される結論もやはり間違っているということになってしまいます。
 
需要曲線や供給曲線が出てくる、ミクロ経済学の前提には、利益を最大化するために合理的に行動するというホモエコノミクスという人間像があります。これは人間の一部分しか捉えていないです。何歩か譲って、ホモエコノミクスから出発した経済学(数学も物理学も同じ考え方の学問。だからミクロ経済学は確か社会科学の女王と言われていたと記憶しています)で経済現象の傾向の一部を捉えることができるだけだと思います。それを絶対化して、現在の状況を考えないで、フリードマンみたいに「民営化あるのみ」のようなスタンスは、とても残念な姿勢だと思います。
 
そう考えると、ケインズが当時の経済状況について、どう思考錯誤したのか読むことは、その考えというよりは、考え方を身につけることができるのではないかと予想します。
 
今、大事だと思うのは、経済に限らないですが、生涯の学習によって、人が概念を理解して、それをいまの状況に適用して、思考し、よりよい判断に活かして生きていけるようにするということです。
 
自分の根底には、あの夏目漱石の言葉がいつもある。生まれ変わったら、統計学者になりたいかもしれない。数量的にも、人の考えたものではなくても、もっと自分で考えらえるようになりたい。
 
「理想を高くせよ、敢て野心大ならしめよとは云はず、理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり、理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし、理想は見識より出づ、見識は学問より生ず、学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学で居る方がよし」夏目漱石
 
 
「学問は綱渡りや皿回しとは違う。芸を覚えるのは末のことである。人間が出来るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る。好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。」夏目漱石