デリダ論―『グラマトロジーについて』英訳版序文  脱構築

デリダ論 (平凡社ライブラリー)

デリダ論 (平凡社ライブラリー)

グラマトロジーについて 上

グラマトロジーについて 上


たぶんフッサール記号論を理解していないちんぷんかんだろうと思う。
高橋哲哉さんの入門書など、
あとこういう原典にもチャレンジしたことを思い出すけれど、難しかった。
またチャレンジしてみたいとは思う。
家の高橋哲哉さんの入門書はまだ残っていると思う。今度実家に行った時にとってこよう。



ある対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構築すること。フランス語のdéconstructionには、たんに「解体」という意味が付されており、しばしばその場合のみに使用されることもある。だが「脱構築」というときには、積極的に意義を見出すために行われる作業とみなされる。
ある対象に隠された、矛盾する(あるいは倒錯している)、無意識下の形而上学を暴き出すための手法。この場合、脱構築された対象は、我々が一般的に認識している観念・概念を揺るがし、覆すものとして現れる。


これはウィキピディアの説明だけど、まさにこういう思考をブッダは行っている。
どうプラトンデリダが読んだのか、脱構築したのか、たしか高橋哲哉先生の本に書いてあったと思う。
たしかにその思考法とブッダの思考法は一致している。このwikiの説明でほぼ合っていると思う、おそらく。

必然的に内側から働きかけ、古い構造の転覆の戦略的・経済的資源のすべてを借り出す(ガヤトリー・スピヴァクサバルタン研究ー歴史記述を脱構築する」竹内千春訳)

スピヴァクが引用したデリダの言葉らしい。

今、フッサールを学び直してデリダの原典にチャレンジする心の余裕がなさそう…。他に読んで、仕事に繋げたいことがある。そこにエネルギーを集中させたい。