居酒屋で
ホッピーセット+中。
家で角ハイボール一リットル。
ここで大切なのか、追加で買いにいかないで、できれば寝ること。あとミネチールC。
寝て起きてからまた飲もうというほどアル中では幸いない。
ショーペンハウワーの『幸福論』も思い出します。



「幸」って言葉は重い罰ではなくて手錠ですんでよかった、さいわいというのがこの漢字のなりたち、起源らしい。白川静研究によると。リアルでいい。

トラッシュマイデッドのとねさんのドラムは、たいこだけど、本当に歌っているみたいだ。


ギターのコード弾きは確実にできる。
ギターも仕事に役立てることができるかもしれない。


すべての人は経験している(これが分からないの愚かと認識している哲学者がいる。)。
その意味では同じだ。その経験の多様性という意味では全員違う経験をしている。


ただそれは同じ価値を経験しているとは言えない。それを認識できないのを僕は愚かだと思う。







最近のKさんの投稿やコメントのやりとりを読んで、
自分はやはり読書や学問の価値と喜びを教えてくれた人たちに対する恩を永遠に忘れないようにしようと思いました。やはり学問への導きが僕には読書だったし、読書が人生の分岐点でした。同じような経験をしたという話はいくつか読んだことがあるし、聴いたこともある。絶対ではなくて、広く通じるという意味で、読書にはかなり普遍的な価値があると僕は思います。ハンセン病回復者の方で、舌を使って点字法華経を読まれる方のことも思い出す。本を読むことの意義は深いです。


誰にも本を読むことを強制したいとは思わないけれど(文字を読むことの強制が学校にあったとしても、本当は強制なんてできない)、文字を読み書きすることの人類普遍的な価値をどの子にも知ってほしいと思う。


それに日蓮が言う善友が大事だっていう、原始仏典では、それが成仏そのものだって、そのことをKさんの文章を読んで一度もお会いしたことがないけれど強く思いましました。