創価学園・創価大学と創立者(第 3 回) 神立孝一

http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/3677/1/p.31-63.pdf
神立先生の日本経済史の授業で一番心に残っているのは、日本酒の話です。すみません。
でも、あまりに悪い安酒は飲まないように努力を続けています。



「人間らしく、自分らしく生きてほしい」
「決して背伸びする必要はない。外面や体面だけを考えて自分を飾る必要もありません。
そうした虚構の人生だけは歩んでほしくないのです」

「君たちが、それぞれの分野で、完璧になることが偉大なのです」(『池田大作全集』第 56 ―37―
創価学園創価大学創立者(第 3 回)
巻 44 頁)。 完璧ということは非常に難しくて、何が完璧なのかも難しいですけれども、自分が完璧なものを 目指して努力をしていくこと。その分野は自分に任せておけ、と。そういう人間になることが大 事で、そのための授業だ。こういうお話であったという記憶があります。

自分の人生に向き合う態度はかなり死んでいる。あまりにも遠すぎる。不甲斐無い自分。
生まれてから一度も完璧なんて目指したことないかもしれない。



試行錯誤してきたことを率直に語る。
靴ひもの比喩もそうだけど、ナンシー・アトウェルと重なる。


次の話です。先生はいろいろなところでスピーチされますが、1973(昭和 48)年、学園での スピーチのなかで五つの提言が続きます。言葉づかいが鮮やかですね。なぜにこんなに言葉づか いが鮮やかなのだろうと自分なりに検討してきたのですが、やはり読書ですね。先生は詩をたく さん読まれていますね。詩をたくさん読んでいるから、ものすごくたくさん言葉をご存知です。 多くの人が共感する言葉を選ばれます。これが素晴らしいですね。言葉は人を納得させるものだ から。五つというのは非常にわかりやすいですね。

詩を読む意義。


神立先生の学園、高校生の時の話。
こういう大事な時を外さないで勉強しているって大事ですね。
僕は読書を遅れながらもしていたけれど、あまりにも遊びすぎました。後悔しても遅い。


1 学期には、僕たちも一生懸命勉強して、僕自身も京都大学に入る偏差値を越えたのです。寺 西さんたちもそうだった。そうなったときに、7 月に栄光祭があって、君たちは高校 3 年生だか ら、先生をちゃんとお迎えしなさい、と学園の先生方からいわれて、学園の玄関ロビーで、先生 が到着されるときに、僕たち 10 人くらいだったと思うのですが並んで、先生をお迎えいたしま した。車が入って来られて、車のドアが開けられ先生が降りられた。その第一声は、「全員、創 価大学へ行きなさい。後輩たちのための捨て石になってください。その決意でやりなさい」。僕 たちは学園のために国公立の大学に進学しようと思って、本当に辛い勉強をしてきたのだけれど、 先生は「創価大学に行きなさい」とか叫ばれた。愕然としました。でも、諦めました。悩んだの
―46―
創価教育 第6号
ですよね。栄光祭が終わった後の夏にも予備校に行きました。みんなで悩みました。どうしよう と。先生がそこまでいわれているから、自分たちが創価大学へ行って、後輩たちのために道を開 くことが正当な道なのだと、その秋くらいになって決意しました。その途端ですよ、僕が勉強し なくなったのは。でも、後から振り返ってみると、やはり先生にはそれなりの決意がおありにな って、3 期生までは大学に入ってきたけれど、4 期生はちょうど 1 年生から 4 年生まで、はじめ て大学で学年が完成する年度です。

こういう話が公開されるようになってきたのかと思う。
僕も大学時代に当時の学生部長に、捨て石になってくださいということを草創期の創大生に池田先生が言われたという話を聞きました。
ふつう、「捨て石になってください」なんて絶対に他の人に言えない。
でもそれが成り立つ関係があったということ。
何を言ったかも大事だけど、それよりも誰が言ったのかほうが大事。そういう関係があった。



「そうしてふるいにかけられていくのであります」(同 94-95 頁)。


ふるいにかけられているってここから来ているのかな。
でもこれは20年間とか長い年月をかけてという話。政策の意見程度の話ではない。


「人間社会においてもっとも大切なことは教育です」。「学生と教師との関係というものは 対等です。そうした人間関係の絆があってこそ、世界的な学問を打ちたてる偉人、立派な平 和の指導者が輩出してきた」(『池田大作全集』第 59 巻 18 頁)。
じつはこの発言が、先生のさまざまな講演のもっとも基礎的なところになっているのです。こ れを学生にも、それから、大学の教員にも、大学に関係する人たちにも訴えたい。人間と人間が 対等のなかで、ある種の知的な好奇心を追及する。それこそが本来の教育だという話ですね。教 育というと、一方から片一方に水が流れていくような、伝えることのように思っているかもしれ ないですが、じつはここで先生がおっしゃりたいことは、教育はそうではない、教師と学生が一 緒になってつくるものだ。どっちかが偉いとか、どっちかが偉くないとか、どっちかが教わると か教わらないとか、そういう話ではない。先生の心のなかに沈殿している思想とでもいいますか、 それが学生の姿を見るなかで、だんだん爆発してくるのですね。噴出してくるのです。これは絶 対いわなければだめだ、という感じになってくる。大学での先生のご発言を追いかけていくと、 それがわかってきます。いま僕は、先生の発言に補助線を加えて、皆さんの視点をそこに向けて いただこうと思っている、一つの事例です。

大学紛争。傲慢な学者らの上から見下す態度。



「だれでも、逃れることのできない宿命というものがあります。そう肚を決めたとき、宿
命は使命となって、その人の一生を輝かせるのです」(同 26 頁)。 こういうお話ですね。創立者は壮年、婦人に向かって話されているのではないのですよ。そこが 大事ですね。10 代の後半、20 代の前半の若者に向かって、こういう話を真剣にされているので すね。これが、創立者創立者たる所以なのだと、僕には思えてなりません。どこまでも若い人 たちを信じて、その人たちの将来のことを一生懸命考えて、それでご指導してくださっている。 こういう話は一つの法則ですから。それを多くの人にわかってもらいたいというので、創立者は いろいろな運動をされているわけですからね。それをつくづく感じます。宿命というものは、結 局逃れられない。逃れられないと決めて、なんとかするのだと肚を決めると、宿命が使命になる のですから。自分でしみじみいい聞かせています。逃れたい宿命はたくさんありますから。

失踪したい笑
肚を決めることか…。
肚決めるか、決めないか。
肚を決めるしかない…。