アレグザンダー

http://www.amazon.co.jp/クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡―デザイン行為の意味を問う-長坂-一郎/dp/4395320465/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1454768938&sr=8-1&keywords=アレグザンダー


いくつか吟味した結果、これを購入。とてもよかったです。アレグザンサーの最新の著作についても知れた。建築において、パターン・ランゲージは失敗した。しかし、プログラミングの世界ではこの本には書いていないけれど、成功したらしい。なぜパターンランゲージが建築の世界において失敗し、プログラミングの世界で成功したのか、思想史の次元で知るとけっこう分かる気がする。教育の世界へ、パターンランゲージをそのまま適用しても、たぶん思った成果はおそらく出ないと思う(これは予想)。それでもパターンランゲージの考え方は魅力的だと思う。プログラミングよりも建築や教育の世界のほうが複雑。そのこともあるかな。

アレグザンダーが、エリザベスキューブラーロスと同様に最後はスピリチュアルな方向へ向かっているのはなぜだろう。その最近の思想から実践したアレグザンダーの日本の建築はかなりいいらしい、この著者によると。
でもよく考えたら牧口先生もある意味同じか(大きく宗教的という意味で)。この類似にはどのような意味があるのだろうか(それにこういう方向性に残念という声があるのはなぜだろう)。


最後のひとかけらというか、一ピースというか、宗教的な興味は当たり前のことかもしれない、いちいち驚くべきことでもなく、残念がることもでもないというか。

たぶん今の自分の方向性には決定的に足りないことがあるかもしれない。というのは、アレグザンダーの日本の建築が最新の思想の反映として上手くいったという話と繋がってそう思う。その建築物を見に行ってみようかな。日本にあるのだから。埼玉県にある高校と大学。

モダニズム
装飾は悪だって話だけど、きっとそんなことないと思う。

http://www.amazon.co.jp/クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡―デザイン行為の意味を問う-長坂-一郎/dp/4395320465/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1454768938&sr=8-1&keywords=アレグザンダー




問題点も多い感じ(それはパタンランゲージではなく、
社会的な制約から問題があったとの結論)。
ガウディとも比べてしまう…。
でもパタンランゲージの考え方の魅力ってどこからくるのだろう。
やはり算数・数学なのかな。
http://www.nakatani-seminar.org/kozin/2004_shuuron/fukushima_syuuron.pdf



部分と部分が関連し合って全体を織り成しているというゲーテの言葉を思い出して、それを教育と繋げてつぶやいたことが、そのままこの本のはじめのほうと重なっていて、少し驚いた。パタンランゲージって魅力的だと思う。ゲーテと重なるところからその魅力がくるのかな。
http://www.amazon.co.jp/パタン・ランゲージ―環境設計の手引-クリストファー・アレグザンダー-y/dp/4306041719/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1454771634&sr=8-3&keywords=アレグザンダー


アレグザンダーの上手くいかなかった部分から、自分に欠けているものが見えてきたかもしれない。もうもともと分かっているけど、それが鮮明になった感じがする。


合理性をただ突き詰めて行くだけでは、当然うまくいかない部分がある。
それでも合理性を求めるけれど。


http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp
ちょっと読んだだけで、『パタンランゲージ』みたいにそれぞれの関連が示してあって、おお!と思いました。まず面白いと思う。これを一人ひとり、作る、考える過程に価値がとてもありそう。これをただ与えられるだけだったら、よくないかも。でも考えるきっかけにはこのラーニング・パターンはなるかもしれない。

よく整理されていて、面白い。それにそれぞれのパターンで具体的にどうすればいいのか、また考えていけばいいのか記述がしっかりあるから、参考になる。


http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp
ちょっと読んだだけで、『パタンランゲージ』みたいにそれぞれの関連が示してあって、おお!と思いました。まず面白いと思う。これを一人ひとり、作る、考える過程に価値がとてもありそう。これをただ与えられるだけだったら、よくないかも。でも考えるきっかけにはこのラーニング・パターンはなるかもしれない。

よく整理されていて、面白い。それにそれぞれのパターンで具体的にどうすればいいのか、また考えていけばいいのか記述がしっかりあるから、参考になります。でも不足感は正直ある。内容に違和感もあります。アレグザンダーは、一人一人がパタンランゲージを考えていくことを求めてたというような記述をどこかで見かました。これは井庭 崇さんらの一つの応答だと考えるべきだろうけれど、それに内容に不足感も違和感もあるけれど、面白いチャレンジだと思います。



応用した実践例を見て、パタンランゲージの考え方から、建築とは違う分野の学級や授業、学習について、一人ひとりが考えていくことにとても価値があるのかなと思いました。井庭崇先生たちのプロジェクトはその先駆けとして素敵だなと思いました。

アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』はゲーテの言葉を建築の世界の本に構築したみたいで、とてもすてきでした。

長坂一郎さんの本によると、アレグザンダーのパタンランゲージで書いたパタンの内容は今でも通用するものがあるけれど、その考え方、科学的態度自体は間違っていたというのが、アレグザンダーの自己認識らしい。考え続けていきたいところ。



ヘルバルトに多方興味論というのがある。その中に確かに宗教的興味というのがあって、よく考えれば、歴史的に考えて宗教的興味というのは人類普遍のこと。そう考えると大事なのは、認識することだと思う(宗教以外との関連もふくめて)。エリザベス・キューブラー・ロスもアレグザンダーも、牧口常三郎も晩年にその宗教的な方向にシフトしていったように見えるけれど、そんなことなくて、その前から宗教的興味に関する思考が読み取れる。晩年でなくても宗教的な問題について考えている。それがたまたまなのか、必然なのか、晩年に多く見られるだけかもしれない。


一部のセンセーショナルな出来事によるイメージだけで、宗教に対する認識がほとんどなく(または誤った認識で)、宗教について評価しているのだとしたら残念なことだと思います。というのは、そう思う記述や言動にたまに出会うからです。無神論であるにしても避けては通れないと思う。無宗教であるという区別にしても、宗教からしか出てこないから(無宗教であると自認しているにしても、どれだけ宗教について認識して、無宗教であると自認しているのだろうかという問題)。宗教からし無宗教であるという区別も出てこない。宗教がなければ、その区別そのものが出てこない。宗教については、避けては通れない人類普遍的なことではないかと自分は思えてきました。社会に組み込まれているというのもあるし、そうじゃなくても。