仮に公教育がなかったら、
家庭の格差がほぼそのまま学力格差になるわけだから、
公教育の充実が格差の是正に繋がるというわけか。
でも本当によい学び手たちがいて、その子たちとの学力差はひらく一方な気がする。


一番の目的は知性を育んで、よい学び手となることを支援することかな。



と考えるとやはり読書教育は重要だと思う。



ひらく一方だけど、ひらいたっていいじゃんとも思う。
足を引っ張り合ってもしょうがないじゃん。
僕だって同じ。
優秀な人とは、
ひらく一方で、死んでもひらく一方だから。だから何って感じ。それでいいじゃん
自分は自分だから。それに見てきているものも経験してきているものも違う。
そういう意味ではみんな違う経験をしている。そういう多様性の価値もある。



本当に学力がある人は、人をいじめたりしないよ。その人は間違いなく価値創造の人だから。
学力格差はひらいたっていいんだよ。



と思ったけれど、20世紀の悲惨な歴史を思い出す。
格差というか、みんなが賢明にならないと、平和も幸せも永遠に訪れない。キルゲゴール。



みんながじゃないか、ひとりひとりが賢明になる。



算数で間違いは消さないようにって、ああ、これ作文、書く事でも同じだな。
馬鹿なこといったっていいんだよ。人を中傷したり、傷つけなきゃ。



それは気づいたら削除するけど、おばかな発言は残しておこう。