自分の言葉づかいが悪いから気をつけよう。反省。


学者の方たちは、
論文を一つも生産したことがない僕みたいなアマチュアから見るとみんな雲の上の存在ですし、例えるとプロスポーツ選手みたいです。




面白いのは、
ゲントナーやキャシーのような最先端の超一流の学者さんの結論と、
昔のペスタロッチやヘルバルトなどの教育哲学や教育学の分野の人の結論が交差するところ。


前に日本経済史が専門の恩師が一つのことを深めると、それは他のことにも通じているもんだとしみじみ語っていたことを思い出した。


教育思想史を遡っても、現代の認知科学などを追っても、結論の多くが重なる。


でも細かいところが違う。
たとえば、デュルケムみたいに社会学歴史学が明らかにする細かいところと、
ゲントナーなどの心理学者が実験などで明らかにする細かいところはだいぶ違う。


深いところで重なるならどちらかでもいいかと少し思ったけれど、そうでもなさそう。


手続きと見ているものが違うからか。それでも同じような結論に至るのが面白い。


フレーベルにしても、ペスタロッチにしても、ヘルバルトにしても、カントの認識論がベースにあると思う。やはりカントは外せない重要人物だと思う。