考えたこと ふりかえり

教育研究で、効果的な方法、技術の因果関係を特定できればいいわけだ。でもそれが複雑な現象を対象としているから難しい。読書がどのように有効なのかという因果関係の特定も難しいということが最近の学術者の本を読んでわかりました。
確実な証明ができなくてもループ図に表すなど因果関係を特定しようとする努力が大切なような気がする。



証明できなくていいから因果関係の仮説が大事だと思う。その仮説が何度も確かめられるなら、かなり普遍的に通用するということ。


現場の人がやれることはやってみて効果を検証することもそうだけど、仮説を立てることがもっと重要な気がしてきた。仮説を立てたら、またやってみるわけだけど。


上手くいった場合、これまでもたくさんの人がなぜ上手くいったのだろうと振り返りして記録、仮説を残してる。それって重要で、自分の実践とも比べて、実証できれば、反証可能性を前提にその仮説は信用してもいい。



効果をどうにかこうにか特定したいけど、さらに快不快とコストの側面を検討をすることが大事だと思う。僕は効果があっても、コストが高い方法は基本的にぼくはやらない。


教育方法を評価する時に、
大きく二つの視点があると思う。
・経済(効率)→コストに対する効果
・快不快
効率的で快い教育方法が最もいい。
「楽しくて、わかりやすくて、しかも能率的でなければ創価教育ではない」牧口常三郎
こういうことか!



明日の研究授業は、物語の組み立て(構想)を交流し合う授業。ある論文によると、ピアカンファレンスで、事前に相談したいことを明確にするのと、しないのでは、明確にしたほうが文章力向上に効果的であるという。これなんかその論文を読まなくても、そりゃそうだろうと思えるようなことです。
この工夫は、僕の前のピアカンファレンスになかった工夫です。今回は物語づくり助ける質問のワークシートの最後に、相談したいことは何かを質問し、書けるようにしただけで、コストはほとんどないです。にもかかわらず、やってみて、効果が高いとしたら、僕は優れたコツ、方法として評価できるし、相談したいことを明確にすることによる文章力向上への因果関係を子どもたちの会話とそのあとの作品から特定できるかもしれません。予想できる。だってピアカンファレンスをする時間が限られている。漠然と話すよりも、相談したいことが明確な方が話し合いが豊かになるのは明らかだと思う。話し合いが豊かなら、その分、作品に反映されるだろう。
こういう細かいコツがたくさんあるだろうと思うのです。