堀 裕嗣

すべての授業行為には意図があります。
なぜその発問が選ばれたのか。なぜこのレベルの説明がなされたのか。なぜここであくまでこの指示なのか。すべて理由があるのです。
しかし、研究協議ではそうした一つ一つの意図が話題に上ることがほとんどありません。教師の力量形成を考えると由々しき事態です。
逆に言えば、理由のない、或いは授業者がその理由を語れない授業行為ならば、それは授業者が自らの授業行為に無自覚だということです。力量の高い教師同士が授業を参観し合う場合、そうした一つ一つの授業行為の意図を見合い、分析し合っています。細かな、一つ一つの授業行為の意図をです。


深く納得。
僕は雑すぎ。
無意識的すぎ。もっと意図的に行為を精選しないと。道は険しく遠いぜ。


でも僕が教育研究で主に検討したいことは、なんか違うかも。
一つひとつの細かい行為の意図か。
そりゃあ授業を構成する要素として大事だと思うけれど、なんか違うかも。


経験から出発せよ
価値を目標とせよ
経済を原理とせよ


僕が最も検討したいのは教育方法の経済(コストに対する効果)と快不快の側面について。
また上手くいった方法の比較による法則化について。
なかなかできないかもしれないけれど、
いろいろな状況で繰り返し何度も成功する、
効果が認められるコツや方法があったら、それを比較することで抽出できるものは、
教育技術の法則といってもいいと思う。原則でもいい。
人間全般に通用する教育のコツがあれば、それは人間教育の法則であり原則だ。


パタンランゲージの元祖の人がプラトンみたいな思想の持ち主なのは、なんか分かる。二世界論。二元論。


思考経済。学習経済。