思考力を離れて、考えることを離れて、本当に道徳なんてあるの?ないでしょう。
考えることを離れて図工も音楽もありません。
これは牧口常三郎の思想に根底から関わっていることです。
論理の問題です。言葉の問題です。
知育と体育の二育論が妥当なのです。
日本の公教育の起源は、誤解です。残念。
スペンサーの教育学の誤読が(意図的か意図的でないかわからんけども)、日本の公教育の起源です。
と言ってみたものの、
ここも吟味、批正できるかもしれない(日本の公教育がスペンサーを大きく誤読したことは歴史的な事実です)。
知育と体育に分けるなら、体育は、音楽、図工と仲間かもしれないです。
一元論が正しいのかも
知的なところと、身体的なところと考えると二元論になるかな。心身二元論。
ただ考えることを離れて、体育もないように思う。
そうなると知育の一元論になる。
知育の中に体育や道徳などがあるということになる。
論理的に考えると、人間教育は知育の一元論になるのかな。