苫野さんの教育の力を読み直すとスピノザという言葉なしに「力能=教養」と出てくる。=教養となっているし(スピノザよりも意味が狭い)、またスピノザと違う意味で力能という概念を使っているだろう。
力能っていうのはシンプルでいいなあ。自由の相互承認の教養に限らないけれど、力能を伸ばすことによる喜びのために教育があると考えるのはシンプルでいい。スピノザ当時の問題と重なるけれど、それが実は民主主義の成熟にも繋がっている。
ドゥルーズの関係主義的なスタンスは、牧口常三郎とも重なる。スピノザのよい、わるいの観念も、価値をその生の関係と捉える牧口常三郎と重なる。ここら辺面白いなあ。方法や思想の重なるところ。