サイコロを振って1の出る確率は1/6、トランプは一枚引いて、ジョーカーの出る確率は1/53というように、サイコロにはサイコロの、トランプにはトランプの確率的構造がある(20年前くらいに学んだことだけど量子の振る舞いも確率的にしか示せないらしい。サイコロやトランプと同じように確率的な構造をもつ物質である)。確率的現象であるかぎり、こうなったらこういう確率、傾向になるだろうということまでしか示せない。つまり、確率的現象というのは、パールの因果論のように影響しあっているという意味では因果関係があると言えるし、こうなったら必ず一つの結果が出るという意味での必然性はないので偶然であるとも言える。確率的現象は、必然と偶然の境界にある。

例えば隕石が自分に直撃したとする。データが揃っていれば、どの場所に隕石が落ちるのか説明できるので必然の出来事だったと言えるだろう。
しかし、なぜ自分に隕石が落ちなければならなかったのか。わたしがその場所に、その時間に行ってしまったからだろうか。しかし、決して実存的な意味での因果関係ははっきりしないので偶然の出来事だったと言うこともできる。
 
ぜ自分が母父のところに生まれてきて意識をもったのか。このこともそうだけど、物理的な因果関係だけでは説明できないことがある。