日蓮の南無妙法蓮華経オノマトペ的なものだとしたら・・・。そういう話が法華経智慧に書いてあったことを思い出します。
南無妙法蓮華経には、濁音が一字含まれている。MOTHERのMの音。万物を生み出す根源のアイコン。
現代思想唯名論的には名称は単なる偶然とするのだろうけど、そうではないのだろう。名付けるというのは、単なる偶然ではない。仮にオノマトペ的なのものだとして地域によって変わるところがあれば偶然性があることも間違いない。しかし、濁音や母音の「あ」と「い」の違いみたいに地域を超えて同じ傾向が見られる音もあるから、そういう意味では、単なる偶然とは言えないものがある。
 「ゴッド」「南無妙法蓮華経」「ダルマ」この三つはそれぞれ濁音が含まれている。世界の大本を写し取ろうとする試みにはオノマトペ的な共通性があるかもしれない。
「「ヤハウェ」「アラー」は違うか。そもそもオノマトペではないか。でも、オノマトペではなくても、音の感覚というオノマトペ的な側面が言語にはある。
その宗教の大本のイメージがオノマトペ的に反映されてはいるのだと思う。