コロナ陽性

8月25日(金)の午後から発熱。同日、耳鼻科に行った時には、37.5度なかったので(しかし、待合室で待っている間に寒気がして熱が上がっていたと思う)、そのまま喉の薬だけもらって帰宅。しかし、帰宅途中でもうどんどん熱がさらに上がっている感覚。

 

8月26日(土)

朝、起きてから10時まで待ったけど、38度ごえの高熱だったので、こりゃダメだと思って再度、病院に行くことにした(37.5度未満だったら様子を見る予定だった)。いつもの近所の病院に電話したら、もうすでに発熱している患者の予約がいっぱいだという。それで、近所の近くにでかい病院に電話すると、招待状がない普通はかかれない病院で、別料金で八千円くらいかかると言われた。それを望まないならと、緊急の病院を質疑応答で自分に合った今、診てくれる病院を紹介してくれる、「#7119」を教えてもらった。この番号は、本来は、救急車を呼ぶかわからない時の判断をしてくれるところらしいけど、僕のさっきの使い方で使わせてもらった。なんとか町医者の病院のギリギリ一つ見つかって、電話をしたら、診断してくれることになった。いく前は38.3度だったけど、待合室で体温を測ったら、39度を超えていた。インフルエンザと新型コロナの二つを同時に調べてもらった。体の節々が痛くて、経験上、インフルエンザだろうと思っていた。それにインフルエンザなら、特効薬もあるので、まだありがたいと思っていた。しかし、結果は、インフルエンザ陰性、コロナ陽性だった。この時点では発熱が大きな問題だった。喉の痛みはそれほど大きくはなく、咳も出なかった。カロナールとトローチを処方してもらった。

 

8月29日(火)

朝、いつもの平熱。喉の痛みや咳などの症状は残っているが、回復に向かっている。

14時くらいで食べたワンパントマトソースパスタを一人前食べられた。久しぶりにしっかり食べた感じがする。タンパク質が足りない。夜残してもいいから、サバ缶あけて少し食べよう。

 

8月30日(水)

朝、ちょっと平熱より高かったけど、お布団からでてすぐだったので、コーヒーを入れてしばらくして測ったら、いつもの平熱だった。安定して24時間平熱でよかった。喉が腫れている。せきが昨日から出るようになった。職場に復帰するときに、他の人にうつさないか心配。

 

母が日曜日に色々買い物して買ってきてくれたものがあって心強かったし、心強い。でも喉が痛すぎてパンやら揚げ物は無理だったので冷凍してある。ラップができていないので、パンと揚げ物らへんを今日の夜に食べたい。あとサバ缶でお腹いっぱいになりそう。

 

8月31日(木)

朝、36.3度でほぼ平熱。今日から復帰。不安だな〜。体がついていけるかな。

 

困ったこと

・発症から3日間くらい高熱。カロナールもらうまでも辛かったけど、もらってからもカロナールのんで少し楽になって高熱を繰り返して辛かった。

・喉の痛み。これについて人生で最も痛い、喉の痛みだった。発症3日目の途中くらいから、凄まじい痛みから、経験したことがあるレベルの痛みに回復してくれてほっとした。

・食欲がなくなったこと。喉が痛くて、食欲もなくて食べるのがこんなに苦痛に感じたのは、人生ではじめてかもしれない。いつも食べれる量のサラダとか作ったけど、もう全然だめで半分くらいしか食べられなかった。そもそも病中に火を通さない野菜は体に優しくないようです。

 

考察

・夏休み(長期休み)に運動をしなかったら、かなり飲酒をするなど生活が乱れてしまったこと。多少のコロナウイルスの侵入を体に許してしまったとしても、多分、体調がもっとよければ、発症を防げたと思う。風邪は万病の元というけど、普通の風邪から、一気に新型コロナウイルスに段階に感染という感じだったのかもしれない。自分的には感染源がわからない。仕事と必要な買い物しか外に出なかったからだ。買い物は全部自転車で済ませていた。

 

・高熱で寝込んでいるときに志村けんさんのことを思い出した。自分も、色々健康に気をつけるなど、抜けているところやできないこともあるけど、気をつけていた。それなりに。ただ程度の問題であまりにガチガチにやる不快な感じになってしまいだと思う。それでも健康や病気予防のエッセンシャルな部分をしっかり実行できることが自分に最低限求めることだと深く刻んだ。それでも、今回のコロナウイルスもそうですし、人は、偶然に訪れる幸運は不運に人生を左右されることがある。やれることをやって、結果が出なければ残念だけど、諦めることができる。しかし、基本的なことをしないで苦しむのは愚かだと思う。40歳を超えて情けないけど、気を引き締めたい。また偶然に訪れる死も考えて、そうだな、やはり、自分にとっても、周りに人にとっても価値的な人生を生きたい、そういうことを思う。「にとって」という言葉が大事で。世界の全ての人の幸福。その全ての人、それぞれ「にとって」の幸福がある。それが気がかり。大きな自己犠牲的な生き方は、今は肯定できないけど、自分も周りの人も世界中の人もできるだけ幸せに生活できるように。大きな軌道、方針としてあるだけだと弱いけど、ないよりはましか。世界の平和と一切衆生の幸福。具体的には自分の生々しい生活、今は病気で苦しんでいる自分がいる。大きな指針を持ちながら生きていきたい。

 

・高熱がおさまってからのアニメ「エロ漫画先生」「映像研には手を出すな!」には、とても救われた。心もきつかったけど、救われた。