先生がいなかったら、今の自分は間違いなくありません。

母校の大学の創立者池田大作先生が、

自分たちに語ってくれたことなど。



・英語を学ぶ、外国語を学ぶことも人間革命なんだいうこと。

創立者はとても柔軟な考えの人でした。「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。」というテーマがあって、宗教的なものがその根本には思想としてあるのですが、創立者は、その意味をとても広く捉えていました。

通訳者の手記から知ったことです。当時、モスクワ大学の学長であったログノフに、死んだら無に帰るのか、それとも生命は永遠なのかと質問をされました。創立者は「死後のことを確認した人はいないのでどちらでも良いのです」と答えました。これは、ブッダが死んだらどうなるのだと聞かれて、無記(答えるに値しない、答えはない、わからないというような意味だったと思います)と答えたことに通じます。生あるものが誰も経験したことのないものを、あるのかないのか悩んで命を無駄に使うよりも、もっと価値的に、よりよく生きれるように自分の命を生きた方がいいということです。「どっちを信じても、それを信じることでその人がより強く生きられることが何よりも大事です。どっちでも良い。要は生きている人間がより良く生きられる事がすべてです」というのがこの返答の着地点でした。創立者は、宗教のための人間ではない、人間のための宗教なんだとよく語られていましたが、本当に、その言葉通りに生きた人でした。

・学生に向けて、創立者が言ったことを一つでもいいから受け取って生きてほしいということ。

僕は、これで気持ちが本当に楽になりました。僕には、創立者が言われたことを全て受け止めて生きることはできなかったし、これからもできないと思います。しかし、受け止めたことは、ずっと大切に生きてきたと思います。

・500冊を本を読もうと学生に呼びかけられたこと。

僕は、大学の1年生の時に500冊本を読もうと決意しました。この時の乱読で幅広く、新書から専門書、古典などの本を読むことができました。これから大学時代のような読書はできないし、したいとも思いません。だからこそ、この時に幅広く読書できて本当に良かったと思っています。社会人になってからは、教育書に偏ってしまいましたが、これは自分の仕事のコアとなる部分です。これからまた読み返して子どもたちや周りの人たちに還元していきたいです。

・自分は創立者が入学式や卒業式に出席してくれた、最後の方の学生でした。当時は、創立者が校内でゲーテ魯迅プラトンについて講義をしてくれて、その授業に参加できた学生、友人もいました。一度も創立者と会話をしたことはありませんが、当時、家から本部棟を通って部室に向かう途中で、大学校内を車で通っている創立者にお会いしたことがあります。自分が早歩きで歩いていると、車の中から僕に向かって敬礼している人がいました。一体なんだろうと思った直後に創立者であることを認識して、稲妻に貫かれたような感覚になったことを覚えています。あの感覚は、人生で一度だけの特別な感覚だったと思います。