スーパーサイヤ人であることが普通の状態にするみたいに、その人のただ生きることのレベルが上がることは、真の成長なのかもしれない。自然体で無理がない。しかし、そこに至る過程には、工夫があったとしても、多少の無理も必須で、努力や根性なども欠かせない。苦しくても頑張り抜く、突き抜ける、そういうことが必要な場面が人生にはある。それがいつなのかは人ぞれぞれで逃げた方がいいこともある。
頑張る価値、頑張らない価値、どちらも絶対化しない、中道である。
少しネタバレになってしまうけど、
 『葬送のフリーレン』でフェルンとフリーレンが常に魔力をコントロールした状態でいる訓練をしているエピソードも面白い。このエピソードには、色々な意味が含まれていると思う。自分たちの日常もメリハリが大切で、ここぞという時に動けるように備えておくといい。
 
生命を維持し続けるだけでも価値や価値創造から逃れることはできない。
ただ様々な世間的な勝ち負けや価値観の土台から降りることはできる。自分は、そういうことかな。
 
昔の少年漫画の根性みたいなのを見てバカにするような現代的な風潮があるかもしれないけど、人生には、工夫をしつつも根性も大切。そうやって頑張れることも人間の大切な要素だ。