健康

木曜日は雨が強かったので、歩いて職場に行った。その日は、アプリによると12747歩。このアプリは多めにカウントされているような感じがする。とりあえず平日は、自転車を封印して、歩いてみようと思う。

昨日も歩いて職場に行ったら、9696歩。近くのマックにも歩いていった。

何も買い物がない休日は、同じ休日で自転車を使った場合、3196歩。

買い物があると7870歩。

このパターンは大体、いつもおなじくらい。

毎日、職場には歩いていく。あとは買い物に行かない休日は、歩いて職場に行ったり、近くのファミレスやマックに行って、ランニングできればベストだけど、ちょっと難しいかもしれない。
 
12000歩、歩いていると、眠りの質が確実に良くなったと思う。質が違う。少し多く歩くだけで、こんなに違うのか。個人差はあるから、研究を参考にしつつも自分の体で感じて調整して行くしかないですね。
 
2023年11月くらいの話。
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歩数計アプリを入れたら、平日は10000歩くらい歩いていた。今日は10324歩。日本人の平均よりもだいぶ多く歩いている。12000歩から健康効果が望めないということなので、平日は働くだけで十分かな。
ここからさらに運動するメリットは少ないかな。そもそも運動する気が起きないくらい疲れている。
休みの日に歩数が少ない。少ないといっても6000歩くらいからかなり健康効果があるらしく、週末のお買い物にいった土曜日は6864歩。日曜日は、ぐうたら午前中に午後はほぼデスクワークだったけど、4831歩。全然、ランニングできていないけど、休日はランニングできるいいなと思う。
 
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健康

歩数計アプリを入れたら、平日は10000歩くらい歩いていた。今日は10324歩。日本人の平均よりもだいぶ多く歩いている。12000歩から健康効果が望めないということなので、平日は働くだけで十分かな。
ここからさらに運動するメリットは少ないかな。そもそも運動する気が起きないくらい疲れている。
休みの日に歩数が少ない。少ないといっても6000歩くらいからかなり健康効果があるらしく、週末のお買い物にいった土曜日は6864歩。日曜日は、ぐうたら午前中に午後はほぼデスクワークだったけど、4831歩。全然、ランニングできていないけど、休日はランニングできるいいなと思う。

インターリーブ

集中が続くようなら、状況に応じてロングレンジの学習もいいけど、1日の過ごし方とか1週間の学習予定とか、基本的にはインターリーブになっていた方が良さそうです。

牧口常三郎は、生物学が今ほど、当時発達してなかったけど、そういった生物学的な知識よりも、教育そのものを比べて教育学を構築した方がいいということを確か主張していた。それは今も変わらないと思う。しかし、神経科学など生物学の分野も革命的に進歩して、そこらからわかること(人間の通性)から効果的な学習法がわかっきて、教育学に無視できない影響を与えている。それが面白いと思う。

僕も休日の過ごし方などコントロールできるところは、学習に限らず、インタリーブを意識して生活しています。その方が集中力が続くからです。生活をするためには、同じことを続けるわけにもしかないので、自然とそうなっているだけかもしれないけど、無意識ではなくて、知識によって、より意識的にはなっています。

今は、あまり見かけないけど、オムニバス形式の授業などは、このインターリーブ学習になっている。全く違うことをやらないくても、その教科の中で変化をつけていく工夫。

インターリーブ学習は基本的な視点の一つになるだろうな。基本的な視点の一つに過ぎないけど。

一つのことに集中が続くような状況もあるから、それは臨機応変に価値的にということになる。絶的なものではなくて、どのようなインターリーブ学習が良いかは、状況に応じてその都度、考えていく必要がある。

ここで大事なのはインターリーブであることの学習効率が高い傾向にあるというエビデンスがあるということ。あと、それはなぜか考えて活用すること(つまり効果的である理由を通してインタリーブであることの意味を考えて、その知識を状況に応じて活用すること)。

copel.co.jp

□火災保険

□定期お得びん

□ネットフリックす解約(1月20日くらい)

□ニンニク麹

□ IDEco

□病院(ネクスト12月16日)

□audible解約(12月25日)

□アップルミュージック解約(12月17日まで)

アマゾンプライム解約(12月25日まで)

□教育のパタン・ランゲージ

□唱題

□運動(ゆるHIIT)

□料理

□読書

□限界まで物を捨てる。

YOUTUBEの配信(教育のパタン・ランゲージ)

IPHONE10をメルカリで売る

□歯磨き(2回)

□手洗い・うがい

□顔をできるだけ触らない

□ドロップボックス整理

□プログラミングの学習

楽天限定ポイント

□ボタンをつける

□教育のパタン・ランゲージのバックアップ

□定期お得便見直し

 

食生活

・オートファジー(12〜16時間断食)

・食材の多様性

・軽い糖質制限

・ながら食べ

・減塩

・タンパク質

・ナッツ

・チョコレート

・ブルーベリー

・納豆

・わかめ、めかぶ、もずく

・卵

・どんぶりいっぱいのサラダ

ブロッコリー

・オリーブオイル

・ひらたけ(エルゴチオネイン)

・緑茶

・バナナ

プロテイン

・グルタミン

・水溶性の食物繊維

 

睡眠

・決めた時間に寝て、決めた時間に起きる。

・20時から22時の間に寝る。

・3時から5時起き

 

運動

・シャワー(風呂)の前の運動

・ながら運動

・ゆるヒット

・アイソメトリックス

・ヨガ

 

基本

teruhisa-2.hatenadiary.org

「平和と文化は一体です。
文化国家や平和国家になれるし、平和国家は文化国家になれる。
争いが多くなったとき、文化はすさみ、地獄の国家の方向に進んでしまう。」『青春対話』池田大作
イーガンも読み直しているけど、現代思想を学ぶを脱構築だなんだと単純な2項対立な見方が批判されているけど(これはこれでとても重要)、こういう見方が役立つこともある。イーガンは、対概念という認知的道具として、2項対立概念のポジティブな見方も紹介している。ここが新鮮だった。2項対立な見方に対してネガティブに疑ってみることがデフォルトとなっていたから。今もネガティブな見方は、変わらないけど、ポジティブな認知的道具の面もはっきりと考えられるようなった、イーガンのおかげで。これはメタナラティブについてもそう。どちらもネガティブな認識を大きく歪めるところもあるから気をつけないと行けないけど。
 この「青春対話」は、文化と野蛮という対立構図で話が進められている。野蛮のレッテルを簡単に貼ってしまうことは戒められなければならないけど(文化と野蛮は多かれ少なかれどの人にも社会にもみられるものだと思う)、文化とは、やはり、科学などの発展、経済などの問題、法の整備なども含めて最終的には幸せに仲良くできるということだと思う(考えたくないと何度も思うけど、大変な状況があることも知っている。僕の恩師の一人がいなくなってしまい、前よりも考えなくなってしまった。その人は、弱くさせられてしまっている人の側に立って、行動し続けていた。僕は自分が無慈悲だと思うけど、そこをなんとか勇気を少しでも出していけるように祈っている。)。
これは軌道(方向)の問題だとも考えられる。文化の軌道がある。それは平和の軌道でもある。僕は、知識や知恵、芸術など、人間の文化が花開いていくことで、より平和な世界に近づいていけると信じている。その反対は、人を不幸にする、争いと地獄の野蛮の軌道である。
科学もそうだけど、そういった無知に抵抗するもの。
テクノロジー(技術)の力も信じている。オタクのテクノロジーが世界が救うというテーマでホヨバースはゲームを作っているけど、オタクのテクノロジーが力となってくれるに違いない。
またムロディナウの感情本に戻るけど、人間の愛や慈悲の情動も大きな力となる。そういう決意で強く生きている、また生き抜いたロールモデルはたくさんいるのである。

祈ることの現象学
何回か考えたことがある。無慈悲な自分に少しでも慈悲(勇気)の心が出てくるようにと祈ること。これは、祈ることの意味、本質に関わることのように思う。久本雅美さんが昔、自分は、強いから祈るではない、弱いから祈るのだ言っていたことを思い出す。

人間とは何かという人間の見方、理論に関わることだけど、僕も人間で慈悲の心があると信じている。しかし、脳の一部が破壊されるとそういったものは発現できなくなるのかもしれない。多分、祈ることができる間は大丈夫だと思う。

宗教の「宗」とは大本という意味で、キリストの神であったり、仏教の法であったり、大本の教えという意味。祈ることには、こういった大本のネガである「無限」やポジである「神」や「法」に立ち戻るという意味もあると思う。ここのネガである「無限」とは、ほぼどの宗教に共通する永遠の要素のことで、ポジというのはそれぞれの宗教の解釈のこと。大本と言っても、それぞれの宗教で神であったり法であったり、捉え(解釈)が違う。

例えば、スピノザ的な無限の神の観点から考えれば、「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」とチャップリンが指摘するように、悲劇も喜劇に思えてくるかもしれない。人生には、そのような見方・考え方が役立つこともある。

また、祈ると、死を見つめつつ、死を超えた無限の観点から考えて行動できる。僕の場合は、祈る機会がないと、今この瞬間の重力によって地球に引っ張られてへばりついている、目の前のことでいっぱいになっている、有限な自分ばかりになってしまいがち(目前のことばかりになりがちで、宇宙の一部である自分について考えない)。祈ると大きな視野で考えることができるようになる。たしかパスカルが言うように、宇宙と比べると葦のように弱く小さい人間が、祈ることで、逆に無限の宇宙を思考で包み返すことができるようになる。

そういえば、ムロディナウの感情本で、エビデンスのある感情(情動)をコントロールする手段として運動と瞑想(マインドフルネス)が挙げられていた。マインドフルネスには、宗教的な要素が薄そうだけど、祈ることが習慣にあるというのは、日常にマインドフルネスがあることと同じだと経験的の思います。情動(精神)を運動とマインドフルネスは、強くする。

祈ってばかりでは云々という話をよく見聞きしたが、祈ってばかりで、まったく行動しない人に僕は出会ったことがない。僕もそうだけど、僕が出会った人たちは、例えば世界の平和を祈っていれば、その人なりに行動している。善き思い、祈りは、やがて行動につながるのだ。
「善き思いは、やがて善き行為に繋がる」トルストイ