良書について

①快適と不快の側面
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすかという側面
③時間(どれだけ長く生き残っているか)
④登場人物がどうか

メールのやりとりで良書についてがんばって考えたので、記録。少し加筆、修正。

==================================
>「良書」とは、誰が、どういう基準で決めるのですか?

===以下に書きながら考えたら大きく基準が3つ出てきました。最近意識してなかった基準を書いていたら思い出してきました。他にも細かい基準あるかもしれないですので、もう少し振返って考えてみよう思います。

①快適と不快の側面
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすかという側面
③時間(どれだけ長く生き残っているか)

==========================================
図書館なんとか認定とか組織が決める場合があると思います。
そういう場合はある組織の人たちが何かの基準で決めるのだと思います。
読み聞かせ、学級文庫だとか、リテラチャーサークルの最初のブックトークの場合は、担任が決めるのだと思います。
ある程度僕の中にも基準があるので、振返って整理ができたら、またメールいたします。すぐにお伝えるできることは以下のことです。本は読み始めてから終わるまで、一つの経験・体験だと思っています。人生の瞬間瞬間すべて経験・体験の連続だと考えます。読書の時間はその経験の一つです。それで経験・体験の質が問題になります。それを判断する基準のひとつに、デューイの経験の対する考えに影響を受けています。
経験には二つの側面があります。
①快適と不快の側面
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすかという側面

あとその場の関係で良い悪いが変わってくると思います。
特に、小学生の場合は読書経験が少ないので、①が重要だと思います。
とにかくおもしろくて、読ませる力がないものは、小学校にある本としてはあまり良書とはいえないと思います。内容以外でも漢字を読めないこと自体が不快なので、たくさんの漢字にルビがあるほうが良書であるとか。そのあとに経験の②の側面を考えて決めます。あとは前に映画の話題のときにメール致しました、宮崎駿さんの考えも参考にしています。あれは、②の側面に注目したものだと思います。②に関しては、例えばある本がどういう気づきを子どもにさせて、どうその後の人生にどいういう影響を与えるのか僕は考えています。例えば「少女ポリアンナ」は、自分の体験したことや環境をだた悲しいとかつまらないと反応するのではなく、自分から喜びを見つけられる前向きで主体的な人生を促すと思います。他にも影響が受けていることがあるので、またメール致します。でも、書いていたら僕の基準はほとんど説明できてしまいました。特に②の部分を具体的にどう考えるかといことで、影響を受けたものがあるので、それを振返ってみようと思います。


他に例では、最近リテラチャーサークルを戦争のテーマで将来したいと考えて選書しました。
それも上記の基準で考えます。まず快・不快(おもしろさ、読み進めさせる力があるかなど)を吟味します。そして内容を②の視点で吟味します。負の歴史を認識すると平和への気持ちを強くなるというのが僕の実感で、その歴史認識が強くできるほうが良書かと思います。もうちょっと振返ると細かい基準がわかるかもしれないです。大きくはやはりデューイの基準で決めるいるのだと思います。
訴えてくる力とか。

最終的には本人がいいと思った本が良書だという主観的な側面もありますが、どの分野でも、多くの人が納得できるという意味で客観的に良書といえる面があると思います。普遍的な価値というか。音楽の分野でいえば、ベートーヴェンとかモーツァルトとか。これのよさがわからないのは、たぶん聞くほうにも問題があるかもしれないというなもの。牧口先生の価値論を学んでいるとき、大学の教授が具体例として言ってました。他にバッハとか。本にも、あるんじゃないかと思います。思い出しました。この場合は時間が基準でした。時間が淘汰してくれるという考えがあり、それにも影響をうけています。長く残っている芸術には何かあるだろうと思っています。これは特に上記の②の面です。でも、時間に淘汰されても生き残るものは、①の面でも、②の面でも最高レベルにあるかもしれません。チャップリンを○○○さんも評価されていました。チャップリンなんかはチャップリンの作品に問題があるのではなく、わからないほうに問題があるかもしれないと思います。あの時代背景であの「独裁者」などの作品をつくるのは、わかる人には偉大なことだとわかると思います。だからこれからもわかる人に高く評価されて残っていくと思います。良い映画だと思います。
==========================================

================================
追伸です。
あと前のメールの基準の②と関わることですが、登場人物で良書を判断する考えにも影響をうけています。登場人物がいい本、登場人物が一流の本は良書です。
例えば「少女ポリアンナ偕成社ポリアンナ、「ああ無常」集英社の世界の名作シリーズの高学年向きで辻という人が翻訳している本のジャンバルジャンや神父さんです。どちらの本でも、いまだ自分の心にその登場人物が生きていて、自分を励ましてくれます。他には「カラマーゾフの兄弟」のイワンや「アンナカレーリナ」のレーヴィンみたいに問題提起をしてくれる登場人物のおかげで、深い問いかけや問題意識をもてたり。「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャのおかげで、人間の可能性に対するヴィジョンが広がったり。たぶん古典に共通しているのは、普段あい難いような他者が登場します。その登場人物が自分の人生にいい影響を及ぼすと思います。


こう良書を説明したり例えたりした人がいます。
「良書は、幸福の向上と、知性と創造の方向に命を導き、思想・人生を建設する健全さがある」
これなんか前のメールの②の部分だと思います。
「良書は、教師であり、先輩であり、父であり、母のごとく偉大な存在です。
良書は、そこに『智慧の泉』があり、『命の泉』があり、『星』があり、人の『善なる魂』があるのです」

逆に悪書をこうたとえる思想家がいたそうです。
「悪書は堕落の使者であり、非行の手引きであり、不幸への落とし穴であり、魔力の毒手である」

良書は、人生全体を考えると時間という基準が重要で、
小学生を相手に考えると、本人の快不快が重要だと思いました。その上で②も考慮する必要があると思いました。いくら読んでいて楽しくて気持ちよくても、よくない影響を与える本もあるかもしれません。
=================================