人間教育

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人間教育 二十三







一九六七年(昭和四十二年)、萩野悦正(はぎ




のよしまさ)は、念願の教員となった。




二度目に赴任した都心の小学校で、六年生を




担任した。一クラスしかなく、児童は二十人で




ある。低学年の時から、「手がつけられない」




と言われてきたクラスだった。




花壇の土を屋上から商店に投げつけたり、




徒党を組んで低学年いじめもする。机とイス




で教室にバリケードをつくる。音楽の時間に




太鼓の皮を叩き破り、楽器を次々と壊す。数




人でデパートに行って万引きし、店員に見つ




かると、他校の名前を言うのだ。




前任の担当教諭は、悩み抜いた末に、転勤




の道を選んだ。




萩野は、不安を感じ、迷い、悩んだ。




“経験の浅い自分に、このクラスの担任とい




う大役を果たすことは、無理かもしれない・・”









その時、山本伸一の、少年少女は「人類の宝」




「世界の希望」という言葉を思い起こした。




“そうだ。みんな、未来を担う尊い使命をもって




生まれてきたんだ。その宝の子どもたちに、だ




めな子なんているはずがない。一人ひとりが、




すごい使命をもっていることを教えてあげるの




が、私の役目だ”




心に光が差し込む思いがした。その日から、




児童一人ひとを思い、唱題を開始した。




しかし、授業中、勝手にしゃべりだす子や、後




ろを向いてしまう子が、後を絶たなかった。




いじめにあい、学校を休む女の子もいた。




その子には、励ましの手紙を書いた。




萩野は、どんなことが起きても、子どもたちを




信頼しようと心に決めていた。強く叱ることは、




絶対にしなかった。児童と信頼の絆で結ばれ




ずしては、叱っても、何もよい結果など生まれ




ないからだ。




フランスの詩人エリュアールは謳(うた)った。




「わたしの生きかたのすべてのうちで、信頼こ




そが、もっともすばらしい」(注)




唱題に力がこもった。心のゆとりが生まれた。




物事を前向きに見る目が開かれた。




“荒れているのではない。わんぱくなのだ。




エネルギーがあり余っているのだ”










(注) エリュアール著『自由Ⅱ』高村智編訳

    北洋社

※参考文献 創価学会人間教育研究会編

  『体あたり先生奮闘記』学習研究社







    =2011年3月14日・聖教新聞
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これを朝読んでよしと思ったのだけれど、うまくいかなかった。
1,2週間前、大縄とびで一瞬トランスフォーミングが手の届くところにあるかと思ったが、
今日は宇宙の彼方に感じた。アドラーの教育論などの理想から言動がぶれている。


朝何か不安や質問があればということで子どもたちから話を聴いて、質問に答えて、自分たちには何ができると思う?と質問しました。


節電・節水という話が出て、自分からは今まで以上に一生懸命勉強することだということを話しました。自分もまだたぶんこれから無事であれば30年以上は生きるような気がします。今関わっている子たちとこれからの社会を創っていくことになる。金曜日のアレイ図を工夫して数えるというところでは、算数のよい工夫は①簡単で②楽で③美しいと教えました。計算の仕方はオープンエンドですが、よい解き方はある。たくさんの解き方を発散させて、どの解き方がよいか考えさせた。これは他のお勉強にも通じていて、お勉強は楽しいこともあれば時には大変です。でも自分を磨いて鍛えていけば様々なことが簡単に楽に快くできるようになっていくと話をしました。今一生懸命勉強することが、今回の地震原発が危険だと分かったけれど、例えば原発に頼らない社会を建設しようとしたら実際に原発に代わる電気をどうするのか、他にも世界には様々な問題があって、それらを解決するために大切だという話をした。それにお勉強(学習)を重ねていけば、どんどん生きることが簡単に楽に快くなる(たぶん)。だから遠い未来じゃなくて、お勉強を重ねていくということは、「今」が簡単で楽になる(たぶん。思いつきで話してしまった。ある意味大変になるか)。あと体験学習サイクルについてももう一度話をした。一週間は学校目標の「思いやり」と「よく考える」を振り返りジャーナルのテーマにすることにしました。


国語の最後のほうの単元の振り返りのところ。一年間意識して体験学習サイクルを様々な場面で回し続けた。一年の集大成になるべき振り返りのところだったと思う。教科書をお手本に、「」の使い方だとか、段落を考えて書くとか、そんなことばかりに重きを置いてしまった。お手本にあるような遠足、運動会やお店などよかったと思うけれど、それだけじゃない、一年間で何を学んだのか、それをこれからどう活かすのかなどを振り返るものすればよかったと後悔。つまらない教科書をお手本にしてしまった。作文のテーマなどアレンジをするべきだった。