廻向は、right-basedの意味

Tさん

【廻向は、right-basedの意味】
「宗教と社会貢献」みたいなのが、ブームですが、
もちろん、宗教社会学者の皆さんとかが、そういう価値判断をすることは、大事だと思うわけです。
宗教は伽藍に閉じこもらず、外に出て行ってこそ、本来の宗教的精神があるのではないか、という社会的な一つの合意を生み出すかもしれませんからね。
でも、「貢献」には、どうしても、「上から目線」がつきまとうような気がしてならないわけです。
(「貢献」という言葉の成り立ちからいうと、下から上に貢ぎ物を捧げるということで、下から目線かもしれませんが)
龍樹(Nāgārjuna)は、だからパリナーマ(pariṇāmā、廻向)という考えを導入したわけです。
今の日本では、廻向は、死んだ人に廻向みたいなかたちででてますが、
本来は、「人を助ける」ということが善き行いだったら、やった人が善き人になってしまう。
だから、やった人を善き人であるという、「どうしても思ってしまいがち」な思考を、なんどもなんんども、「あの人がこれを受けるのは当然だ」と、right-basedな思考を、ただしていくというのが、もともとの「廻向」の考え方です。

まず、大聖人の御書に、世界は(球形ではなく)須弥山を中心とした平面であると出てきますが、
それは事実でしょうか。

あれは、いわゆる「小乗仏教」(この言葉は好きではありませんが)の中心的存在である世親の「倶舎論」の須弥山宇宙説をそのまま引いているわけですよね。

ちなみに、「倶舎論」は、仏教の本というよりも、当時のインドの「百科事典」(「倶舎論」の「倶舎」というのは、コーシャ、まさに「知識の宝庫」と言う意味です。

問題は、知識をひけらかす奈良・平安朝仏教の坊さん達は、人間の生きるべき問題としてよりも、中国の科挙試験みたいな感じで、高位の僧侶にならんとあかんかった。

そのための、丸暗記教材として、「倶舎論」が最適だったわけです。

だから、大聖人当時、みんなそう言ってたので、大聖人も「世間で言うように」と、須弥山宇宙説を語るわけです。

でも、大聖人は須弥山宇宙説を主張したんではないですよね。
大聖人にとって、世界観とは、「闘諍言訟」で、人々が塗炭の苦しみを味わっていて、自分はそこでなにをすべきか、という、「自分がコミットすべき場」な訳です。

だから、「書いてるけど書いてない」という考え方が、大聖人の御書を読むときの、大きなポイントです。

「主師親の三徳」も、そうです。
あんな「主師親」なんて、差別的な概念は、北条得宗専制政治完成しつつあった、当時の、支配する側の概念です。

それを大聖人は、どう、力技でねじ伏せるか。

つまり、天も捨て、難にあう、罪人として、しかし、人を救おうという誓いのまま生きてきた人間の、誇りとして、主師親を出してくるわけです。

人として、尊厳ある生き方はなんなのかということです。

「過去の宿業」もそうです。
あれは、当時の支配者イデオロギーで、つまり、貧乏な人間は過去世に悪いことをした、位の低い人間は過去世に悪いことをした、という、およそ仏教ならざる考え方です。

だから、佐渡御書で、まずその考え方を出してきて、そして、それは世間の因果であるとして、
私は、そんな世法的な罪を犯してはいないというわけです。

そして、罪として大きいのは、仏法的な罪であり、ならば、護法をすることで、その罪は消せると、もう一段上げておいて、

そして、最終的に、むしろ、勧持品にあるように、過去に悪いことをしたから、今、ひどい目にあってるのではなく、今、正しいことをしているから、今、ひどい目に遭ってるんだ、となるわけです。

「恩」も、まさにそうで、
「知恩」「報恩」は、御恩と奉公という、封建制イデオロギーそのものですよね。

でも、支配者たちが、それによって統治していた。

それを、では、いつものように、大聖人は、どういう力技で、どこへ持っていくかということは、

結局、「一切衆生への恩」というところに持っていくわけです。

全体として、何を語られているかという、流れで御書を読むことがとても大事であり、
それをしなかったら、結局、大聖人がそれに対して闘い、そして、それによって迫害されたもの、そのものを、大聖人仏法と思い込んでしまうことになりますね。


読むって奥深い。
Tさんの投稿を読んでも、デリダのことを読んでもそう思う。