ゴッホと自分

ゴッホに詳しい友だちがいる。
あれだけの作品を作ったわけだけだから、
いくら売れないと言っても、周りに人に認められていただろうと考えるけれど、
確か本か、友だちに聞いたことか、もう10年前くらいのことであまり覚えていないのですが、
ゴッホの絵を生前に認めて支えていたのは、ゴッホの弟だけだったらしい。
でも、そのたったひとりの存在がゴッホにとって、とてつもなく大きかったのだろうと思う。


ゴッホと自分を比べるのは申し訳ないけれど、
テーマ研究の方向性を大学時代の恩師が賛同して励ましてくれて、
教員としての恩師も認めて励ましてくれて、
他にも尊敬する先生の何人か認めれてくれたり、紹介してくださったりしてくれて、
もうそれだけで十分に報われたように思います
(あとは少しでも期待に答えられるように進みたい)。


もう少し仕事を効率よく、はやくできるようになって、本を読むことやテーマ研究に時間を注げるようにしたいです。


斎藤正二先生は創価学会の人でも何でもないだけど、牧口常三郎というテーマの研究で、一生をかけて、その研究の土台を築いてくれました。創価学会の内外の超えて普遍的な価値があるから伝えようと研究に命を注いでくれた。それにしても、その牧口研究の土台を作った最大功労者が創価学会の人ではないというのは…。


もう僕も死ぬまでのテーマがいくつか見つかった。
そのテーマは、終わりがなさそうでもあるし、あるのだと思うけれど、
ひとりの一生でどうにかなるものではなさそうです。それは、幸せなことかもしれない。


どんどん話がスライドしていくけれど、
フェルマーの最終定理を思い出して、あの定理みたいに、人が命のリレーをして300年間くらいかけて一つの問題を解決するみたいに、斎藤正二先生などの先人からバトンを受けて、教育理論で言えば、実践して価値創造するなどして、その意志を受け継いでいくことは大切なことだと思う。



プラトンなんて、
数十年前にフーコーが吟味して、
今なお古くも新しいのだから、偉大なテキストなんだと思う。
2000年以上たっても読まれる価値のあるテキストって凄いと思う。