永遠の経典「御書」に学ぶ 『上野殿御書』より

メモ
永遠の経典「御書」に学ぶ 『上野殿御書』より

…ともあれ、自分は安全地帯にいて、立派な教えを一方的に説いているだけーそれは仏法ではありません。
本当の仏とは、民衆の中で生き抜いて、ともに嘆き、ともに苦しみ、ともに希望を目指し、ともに笑うものです。それが"本仏"の御姿でした。
まして御本仏は、「宿命論」を安易に振りかざしたりはされません。
苦しんでいる人に、したり顔で「それがあなたの宿命だ」と突き放した言い方をしても、苦しみに追い打ちをかけるだけでしょう。
宿命にあった人は、いわば、心に暴風雨が吹き荒れているようなものです。
ならばともに風雨にうたれましょう。ともにずぶ濡れになって、ともに道をさがしましょうーーそれしか人間にはできないのではないでしょうか。完全にはできなくとも、その努力が人間と人間に橋を架けるのではないでしょうか。
それは単なる同情でもなければ感傷でもない。
根底に「祈り」という、命と命を結ぶ同苦の労作業があるからこそ、命が命を揺さぶるのです。